山小屋は、雨の日も雪の日も登山者を温かく迎え入れてくれます。明治大学山岳部の部報『炉辺』と、OB・OG会「炉辺会」の名前も、山小屋の囲炉裏端(ろばた)から名付けられました。創部以来、部員たちは山スキーの練習で通った常宿や、登山口の山小屋で、山の話を語り合ってきました。
なかでも八方尾根・明大山寮は、1935(昭和10)年に完成して以来、戦前は部活動を支え、戦後は部の再建を支えてきた山岳部の拠点でした。山寮は2026年3月に約90年の歴史に幕を閉じ、7月から解体工事が始まっています。このページでは、山寮とゆかりの山宿の記事を紹介します。
目次
八方尾根・明大山寮
上高地の明大小屋が使えなくなった1933(昭和8)年、部員たちは自前の山小屋を建てるために動き出しました。末光績部長と木下友三郎総長という二人の恩人の力を得て、1935年に八方尾根に山寮が完成します。戦後も改築や修理を重ねながら、およそ70年にわたって白馬の丸山家が三代で管理人を務めてきました。
山寮1935年〜八方尾根・明大山寮 – 戦前は部活動を支え、戦後は部の再建に貢献戦前は部活動を支え、戦後は部の再建に貢献した八方尾根・明大山寮の歩み。
Play back1935年八方尾根・明大山寮 誕生までの茨の道 ―部員たちの熱意と二人の恩人専用の山小屋を求める部員の熱意と、二人の恩人。デマや遭難を乗り越えた山寮落成までの道。
山寮2025年白馬アルパインホテル代表・丸山勝美氏、日本百名山を完登!!三代にわたり山寮の管理人を務めた丸山勝美さんが、日本百名山を完登。山寮への思いも。
近況2026年明治大学山岳部・炉辺会の近況(2026年春〜夏)―新入部員8名を迎えて山寮が約90年の歴史に幕を閉じ、記念碑の設置に向けて準備を進めていることを伝える近況。
ゆかりの山宿物語
1922(大正11)年12月、創部したばかりの山岳部が初めてスキー練習を行ったのは妙高の関温泉でした。上高地の明大小屋や西糸屋山荘、白馬の「やまろく」、富士山麓の大文司屋など、山岳部の歩みには多くの山宿が寄り添ってきました。
まとめ明治大学山岳部/炉辺会ゆかりの山宿物語青春時代の安息の場だった、山岳部ゆかりの山宿を紹介する入口の記事。
山宿1922年〜関温泉「朝日屋」- 山スキーに励む部員たちの絆を育んだ母屋山スキーに励む部員たちの絆を育んだ関温泉の常宿「朝日屋」。
山小屋1926年〜上高地小屋(通称:明大小屋)- 明大小屋のルーツは牧夫小屋大正末期から昭和初期の部員の根城、上高地小屋(通称・明大小屋)のルーツ。
山宿上高地「西糸屋山荘」- 喜びも悲しみも寄り添ってくれた山宿喜びも悲しみも寄り添ってくれた上高地の「西糸屋山荘」。
山宿白馬アルパインホテル(旧やまろく旅館)- さまざまな支援、協力をいただいた忘れじの宿さまざまな支援をいただいた白馬の宿、白馬アルパインホテル(旧やまろく旅館)。
山小屋クラブハウス大文司屋 – 世界遺産・富士山の麓にたたずむ古の茶屋世界遺産・富士山の麓、旧吉田口登山道にたたずむ古い茶屋「大文司屋」。
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- 八方尾根 明大山寮 活動史(会員限定)
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- 八方尾根明大山寮の記憶を未来へ ― 記念碑設置に向けた活動のご報告 ― 竹村 政哉(1987年卒)(会員限定)
- 八方尾根明大山寮、7月より解体工事へ――長年の歴史に幕(会員限定)
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