
本年令和8年の3月をもちまして明治大学八方尾根山寮が閉寮することとなりました。「山岳スキー発祥の地」と称される白馬八方黒菱にあって、最も古い伝統を有する明大山寮が90年の歴史に幕を閉じようとしておりますことに深い惜別の念を感じております。
この間およそ70年間に渡り、祖父勇次郎、父吉雄、私と三代にわたり管理人を務めさせていただきました。十分な職務が果たせましたかどうか不安ではございますが、山寮を利用された炉辺会の皆様、また新人合宿等で白馬を訪れる現役・OBの山岳部の皆様から長らくご厚誼をいただきましたことに心より御礼を申し上げたいと思います。
さて、私事ではございますが、10年ほど前に思い立って取り組んで参りました日本百名山巡りが完結し、昨年令和7年6月に北海道の後方羊蹄山をもって百座完登となりました。
大学山岳部の中でもとりわけ硬派として名高い炉辺会の皆様に私のつたない山登りの体験をご報告するということには大変な躊躇もございましたが、河野会長様からもお声掛けをいただきましたのでペンを取らせて頂きました。

日本百名山との出会い
山とスキーの里に生まれ育ち、登山者の方にご利用頂くことの多い宿泊業を営んで参りました家の事情からしますと、登山に目覚めることは必然のようにも思えるのですが、実は還暦の齢を数えるまで本格的な山登には馴染みの薄い生活を続けておりました。「日本百名山」を意識したこともありませんでした。
地元白馬での職業柄、山案内人組合の一員だった時期もありますが、もっぱら白馬連峰が中心で、北アルプスでさえ南部の山には登ったことがありませんでした。観光客として上高地や乗鞍、立山などに出掛けたのみでした。
そんな私が百名山に挑戦することを思い立ったのはこんな経緯からのことです。炉辺会の加藤博二さんはやまろくの時代からアルパインホテルを最もご利用頂いている会員の方のお一人ですが、長年冬のスキーに夏の登山にと精力的にアウトドアライフを実践してこられました。
ことに、加藤家の墓所を大町市の名刹霊松寺に定められてから、北アルプス後立山連峰が一望できるその墓所から望める主な峰を元気なうちにすべて登っておきたいと決意され、毎年登山に取り組んでおられました。
ランプの山小屋の船窪小屋や、地元の大町高校(現大町岳陽高校)が登山道を整備した鍬ノ峰など、身近な山々の話題を下山後に聞かせて貰うのが常でした。私が還暦を迎えて、自分の一生ということを漠然とイメージするようになったときに、そんな加藤さんの取り組みが刺激になって、自分が生きた証としてたくさんの山に登ってみたいと思うようになりました。
その時初めて深田久弥さんの「日本百名山」のページを開いたのです。その時点で私が登ったことのある山はわずかに4座に過ぎませんでした。これを機に同書のオーディオブックを求め、これを聞きながら仕事に勤しむのが私のライフスタイルになりました。そして雨飾山、常念岳、火打山など身近な山々から日帰りの山登りを始めました。2014年、60歳の秋のことでした。

クライマーズ・ハイの気持ちで、気がつけば年齢と同じ数の山に
最初は地の利を活かして長野県内の山に向かいました。といってもにわか登山者でしっかりした山岳経験をもっているわけではありませんので、リスクの多い、危なっかしい中高年登山者だったかもしれません。
地元白馬の山案内人として最低限の登山知識は持ち合わせていたかとは思いますが、百戦錬磨の炉辺会の皆様の前では一笑に付されるレベルに違いないと思っております。
明大山岳部の現役の学生さん達には毎年白馬の合宿の際にお会いしていますが、いつも変わらずに登山に真摯に向き合っている姿には感銘を受けております。「登山道」というものがあるなら、それを実践されている青年達だなと感じています。
そんな姿勢が私の苦しい山登りの精神的な支えになりました。正直なところ最初は百座完登などということは念頭になく、五十座も登れれば健康増進のために役立つだろうとおぼろげに考えていました。
そんな折、汗を掻いて山を登りながらこんなことを考えました。私はゴルフはしないのですが、私の周辺のスキー選手経験者の中にはゴルフ通が多く、話題の中で「エイジシュート」という言葉を時々耳にしました。1ラウンドを自分の年齢以下の打数でホールアウトすることだそうです。これを達成した人をエイジシューターと呼ぶそうです。
これを私流にもじり、「エイジサミッター」という目標を作りました。自分の年の数以上の百名山に登った人というくらいの意味で、言葉の遊びです。しかし自分の目標にはなりました。
2018年(64歳・御嶽山)で五十座を越え、2020年(66歳・磐梯山)で年の数をクリアしてエイジサミッターの目標に到達できました。
この頃は年間に十座以上の登山を重ね、このペースで行くと60歳台で百座達成ができるかもしれないという見通しも立ってきました。私の山行は時間の制約もあって、いわゆるピークハントと呼ばれるような日帰りの単独行が多かったので、体力任せの登山は70歳代に持ち越したくないと考えていました。

白馬中学の学校登山以来、文字通り裏山の様に登り続けています。何度登っても新たな感激を覚えます。
苦い経験も
そんな折、苦い経験もありました。一回の遠征で5座を登るつもりで出掛けた南東北の山行で、磐梯山、西吾妻山、安達太良山の三座を一日で回ろうという意欲的な(?)計画を立てたものの、2座目の西吾妻山の雨に濡れた木道で滑って大転倒し、トレッキングポールを握っていた右手の小指を開放骨折するというアクシデントに見舞われました。
傷口の様子と強烈な痛みからただならぬ状況であることは察知しましたが、近くの枯れ枝を副木にして手袋で固定したまま登山を続けて登頂し、帰りのリフトに乗りながら119番に電話して教えてもらった救急病院に車を運転して向かって治療をして貰いました。
無謀にも一日三座登頂などという欲を出してしまったことと、山を甘く見て慎重さを欠いたことに対する山の神様の戒めであったと受け止めています。

山中の避難小屋泊で、九州旅行の荷物をすべて背負いあげるカタツムリ状態の山行でした。縄文杉との出会いは感動しました。
画竜点睛の思い、槍穂高剱
70座以降も一年に10座近くを登りましたが、無理をすることはなくなりました。本来あるべき慎重な登山に立ち返って、山行の旅を楽しみながら一山ずつ大事に登りました。
最後に残ったのが奥穂高岳、槍ヶ岳、剱岳の北アルプスの重鎮と、一度登山のためにニセコまで行きながら急用で断念して白馬に帰った北海道の羊蹄山でした。
槍・穂高・剱には特別な畏敬の念を感じていて、私のようなアマチュアが軽率に登るべき山ではないとずっと後回しにしてきたのです。
あと4座で百名山達成という状況の中で、自らそれらの山に受け入れて貰える心構えと準備を整えました。いずれもきちんと山小屋泊を前提としてコースタイムに添った登山計画を立て、無理のない登山を心がけました。
奥穂は王道の涸沢~ザイテングラート経由で穂高岳山荘泊、槍は新穂高温泉から入山して飛騨沢経由で槍ヶ岳山荘泊、剱は混雑する立山方面からのルートを避け、「試練と憧れ」の石碑が立つ馬場島登山口から早月小屋泊の早月尾根ルートを選択しました。

圧巻の眺望と楽園のような稜線が心に残りました。新穂高温泉から日帰りで挑んだ笠新道ルートは北アルプス屈指の急登で厳しい登山でした。
どの山も心に残る、名山中の名山と言ってよい山でした。
百座目に登頂できたのは昨年2025年(令和7年)6月18日、北海道の後方羊蹄山(羊蹄山)でした。因みに年齢は満71歳でした。頂上直下の避難小屋に一泊するという余裕のある計画を組みました。
登頂の日は朝から吹き付けるような雨模様、雨具を着込んでの出発になりましたが、蝦夷富士と呼ばれる山の頂の外輪山に至りお鉢を巡り始めた頃から天気が急速に回復し始め、頂上地点に達したときには晴れやかな青空になりました。
眼下の火口には融け始めた残雪がコバルトブルーの水に浮かび、さながらドラゴンアイの様相を呈していました。気まぐれな頂上の風に吹かれながら、カメラのセルフタイマーをセットし、用意した百名山登頂達成の幕を広げて記念撮影をしました。
思い立ってから11年が経過していましたが、意欲的に出掛けてきた各地の山々の記憶が次々に蘇ってきました。幸福な山頂のひと時でした。
これからも百名山を友として
「日本百名山」は深田久弥氏が個人として提唱する山のコレクションで、選定の権威という観点からは非常に恣意的と言えるかもしれません。ここに掲げられていない山でももっと素晴らしい山が沢山ある、多くの人がそう思っていますし、著者自身もそのことを認めています。
私は十分な山岳経験も見識も持ち合わせているわけではありませんので、「日本百名山」を客観的に評価することはできません。ただ、私の人生の中でこの本ほど具体的な影響を受けた本はありませんでした。
山国に育ちながら登山への関心が薄かった私に次々と山に登る動機づけをしてくれ、結果として日本全国を巡る山の旅を体験として残してくれました。このことは振り返ってみて、私の人生の大きなアルバムとなりました。
「日本百名山」との出会いに、そしてその旅の一歩目のきっかけを与えてくれた加藤博二さん、そして私のつたない登山体験をいつも精神的に力強く後押ししてくれた明治大学山岳部の存在に心から感謝を申し上げたいと思います。
著者の深田氏は、一番好きな山はと聞かれたら一番最近登ってきた山と答えると語っています。印象がもっとも新鮮だからという理由です。
確かに、今登っている山には、過去の印象深い山々に勝るリアルな感動があります。私もそんな生き生きとした体験を求めて、もう一度百名山を巡る山行に出向いてみたいと考えています。
今度は、踏破という意識から解き放されて、心を開き、山の奥深い味わいとの触れあいを友とするような、ゆとりのある山歩きを楽しみたいと考えております。

インスタグラム
百名山の足跡を記したインスタグラムをアップロードしました。ご笑覧頂ければ幸いです。
日本百名山 登山記録
白馬岳
毎日仰ぎ見る白馬岳。初登頂は白馬中学校の学校登山。その後数知れず登山。高山植物が豊富で眺望もよく、大雪渓など変化に富んだルートで、北アルプスを代表する名山だと思う。
五竜岳
31歳の時、アウトワードバウンドマウンテンスクール(OBS)のインストラクターコースに参加して、遠征で後立山連峰縦走の折に登頂。
鹿島槍ヶ岳
五竜岳と同様にアウトワードバウンドマウンテンスクール(OBS)遠征の折に登頂。赤岩尾根下山。
至仏山
八方尾根自然環境保全協議会の視察登山で。八方尾根と同じ蛇紋岩質の山の自然保護の視察。山の鼻ビジターセンター、尾瀬ヶ原から鳩待峠へ周回。
雨飾山
雨飾山キャンプ場より日帰りピストン。荒菅沢で道迷い。日本海に近いためか湿度が高かった。
常念岳
一ノ沢登山口より日帰りピストン。前常念岳まで足を伸ばす。年を改めて燕からも縦走し、常念小屋泊。
火打山
紅葉はピークを越えていたが絶好の好天。
美ヶ原
うっすらと雪の積もる初冬。午後から晴天。
霧ヶ峰
美ヶ原と2座登山。ビーナスラインの枯れ野が夕日に輝いて美しかった。車山の山頂は氷点下。
蓼科山
七合目登山口より往復。将軍平から上部でペットボトルの水が凍った。頂上直下はガラガラの急斜面。
大菩薩嶺
穏やかな春の登山日和。富士山を遠望するハイキングコースのような登山道。
高妻山
戸隠牧場より五地蔵を経て登頂後、乙妻山まで日帰り往復。残雪、雪庇が多く、途中転倒して滑落しかけるも雪の外に放り出されて運良く停止。戸隠連峰は気の許せない難所が多い。
四阿山
牧場の縁をたどる草原のような山。山頂近くは針葉樹の樹林帯で、頂上には信州側の祠と上州側の祠がある。
草津白根山
本白根山周回。コロシアムのような火口付近にはコマクサが満開。湯釜は緑の水と硫黄臭が印象的だった。
金峰山
瑞牆山下山後に富士見平小屋から往復。岩場が多く、変化に富んだ登山道だった。頂上の五丈岩は迫力。
瑞牆山
好天も北ア、富士山望めず。金峰山と1日で。
乗鞍岳
台風3つ発生中も、梅雨の晴れ間で快晴。ご来光登山。
富士山
富士吉田ルート往復。7合目東洋館泊。台風による大荒れの天候の中の登山になった。眺望は全くなし。
北岳
北沢峠、広河原から。大蒲沢、八本歯のコル経由。北岳山荘泊。間ノ岳への縦走は日本の最高地点の稜線歩き。
間ノ岳
北岳山荘より縦走。頂上は静かな岩稜地帯。周辺は特殊東海フォレストの私有地。
木曽駒ヶ岳
駒ヶ岳ロープウェイ利用で日帰り。晴天ながら強風の中、千畳敷から乗越浄土、頂上を経て濃ヶ池周回。
八ヶ岳
美濃土より赤岳日帰り往復。頂上では八ヶ岳ブルーが美しかった。登山道は急登でザレ場が多く、やさしくはない。
妙高山
赤倉ロープウェイ利用で山頂駅より往復。鎖場付近は10センチ以上の積雪だった。
甲武信ヶ岳
川上村毛木平よりピストン。甲州、武州、信州に跨がっていることから甲武信岳の名前が着いたという。信濃川の源流が登山路にある。
筑波山
筑波山神社よりケーブル、ロープウェーを使用せず上下山。関東平野が一望できた。
荒島岳
勝原スキー場跡より日帰り。春霞の中白山がよく見えた。下山後温泉入浴テント泊。
伊吹山
伊吹山ドライブウェー利用。琵琶湖の展望が美しく、関ヶ原の合戦場方面も眼下に見えた。
皇海山
R120より栗原川林道経由。悪路で閉口。赤城山と二山登頂。
赤城山
駒ヶ岳、黒檜山、赤城神社周回。皇海山と二山登頂。
水晶岳(黒岳)
ブナ立尾根より裏銀座縦走。水晶小屋泊。鷲羽岳と2山。頂上近くの登山道の脇に天然の水晶が光っていた。
鷲羽岳
裏銀座縦走で水晶岳と2山。頂上から鷲羽池越しに見える槍ヶ岳は絶景。帰路、烏帽子岳経由ブナ立尾根下山。
大峰山
(八経ヶ岳)
行者還トンネルより往復。全コース森林の中。秋の晴天日で頂上からは尾鷲の島々がよく見えた。
大台ヶ原(日出ヶ岳)
高原状の台地を周回。大蛇嵓の岸壁は圧巻。足がすくむような絶壁だった。
両神山
八丁峠より往復。修験道の道らしく、鎖場の連続。天気も悪く、苦労した。
丹沢山
秦野ビジターセンターより塔ノ岳経由で日帰り。富士山の眺望が美しかった。登山者多数。
雲取山
山梨県丹波山村鴨沢より。歩きやすい傾斜の林間道。往復20Kmと距離が長い。標高と同じ2017年に登頂。
空木岳
林道終点より日帰りピストン。快晴。這松の緑の中に点在する花崗岩の巨石が美しい。駒石の迫力に驚かされた。
仙丈岳
北沢峠から日帰りピストン。小仙丈から上部は両側がカール地形の細い尾根筋。南アルプスの眺望が晴らしい。
薬師岳
折立より太郎平小屋1泊で。翌日黒部五郎岳縦走。晴天。
黒部五郎岳
太郎平小屋より6時出発。頂上で家から来客の電話連絡を受け、登山道を走って下山した。北陸道を経由して、夕方6時半に帰宅。
笠ヶ岳
秋季の日帰り。帰路1時間程暗闇の中をヘッドライトで下山。山は静かで槍穂高絶景。笠新道は長くきつかった。
男体山
晴天で、シロヤシオが満開。男体山と中禅寺湖が絶妙な位置関係で、頂上からの眺望は抜群。
日光白根山
この日男体山と2座登頂。山頂はガラガラとした溶岩の堆積で、頂上からはいくつもの火口湖が見下ろせる。
武尊山
晴天。シャクナゲ満開。下山後花咲温泉で入浴。
十勝岳
孫娘の誕生日旅行の折に一人で足を伸ばす。風雨強く視界ゼロ。望岳台より十勝岳温泉凌雲閣へ。
大雪山
旭岳ロープウェー利用。姿見より往復。上富良野前泊。
鳳凰山
早朝3時自宅出発、6時青木鉱泉より登山開始。ドンドコ沢経由地蔵岳、観音岳、薬師岳周遊、中道下山。
那須岳
那須岳、朝日岳、三本鎗岳周回。下山後に日本の秘湯に数えられる大丸温泉の川湯を体験。
巻機山
七合目付近まで林間の赤土と石の悪路。森林限界より上は一面の草原で開放的な眺望。
御嶽山
大噴火後4年が経過して、山頂剣ヶ峯の入山規制が解除された日に、午後から単独登山。上下山2時間半。
浅間山
朝7時登山開始、12時半下山。強風。落葉松の黄葉最盛期。一面黄色に彩られ、カナディアンロッキーを思わせる絶景。
立山
台風通過後も梅雨前線活発で大雨の予報下、日帰り登山。次男と同行。
焼岳
中ノ湯より往復。午前中好天。登頂時から曇ってきて上高地を望むことは出来なかった。
会津駒ヶ岳
檜枝岐村の道の駅にて仮眠後、午前4時半出発。高層湿原に高山植物が開花を始めていた。下山後燧ヶ岳に移動。
燧ヶ岳
会津駒ヶ岳に続いてこの日2座目の登山。帰路2時間雨。頂上にて昼食、御池ロッジで入浴後帰村。
谷川岳
ロープウェーで天神平スキー場まで。新雪の天神尾根をピストン。一面の霧氷で美しかった。
霧島山
(韓国岳)
快晴。えびの高原より往復。新燃岳がさかんに噴煙を上げていた。
宮之浦岳
鹿児島空港より空路屋久島へ。安房泊。淀川登山口から入山し宮之浦岳登頂の後、高塚避難小屋泊。翌朝縄文杉、ウィルソン株を経由して荒川登山口に下山。
開聞岳
螺旋状の道は岩場が多く登りにくい。頂上からは池田湖、長崎鼻など360度の絶景。裾野が美しく、薩摩富士の名に恥じない。
恵那山
阿智村より日帰り。快晴。立木が多く眺望聞かず。南アルプスの鞍部に富士山の頂上が見える。
天城山
冬晴れで日差しも暖かかった。全体に急斜面も少なく、ハイキングとして好適。時計回りの帰路、岩の多い悪路がある。
苗場山
秋山郷小赤沢から日帰り往復。9合目より残雪多く、夏道の不明箇所があった。チェーンスパイク使用。
越後駒ヶ岳
当日朝4時半家出発、関越道経由枝折峠より登山。上部晴天も帰路小雨。
平ヶ岳
日帰りでは百名山中で最難関といわれる平ヶ岳に鷹ノ巣登山口から往復。台倉山、池ノ岳を経由して頂上へ。自然が作り上げた不思議な造形の玉子石、美しい高層湿原に癒やされ、体力を振り絞って下山。
吾妻山
磐梯山に続いて同日2座目。コースミスがあり、気の焦りから雨中の木道で滑って転倒して右手小指を切傷、骨折。登頂後米沢市立病院救急外来で縫合手術。この日3座目の安達太良山断念。
磐梯山
裏磐梯休暇村に前泊。早朝5時八方台より日帰り登山。終始雨で頂上では強風、眺望なし。
蔵王山
リフトを利用し、お釜沿いの登山道を登って1時間程度で往復。終始霧の中だったが下山時にお釜目視。
安達太良山
岳温泉前泊。早朝5時出発。スキー場より登山開始。頂上の乳首付近で雲が切れ、雲海。下山後東北中央高速で移動し、蔵王山へ。
月山
リフトを利用して日帰り登山。紅葉が始まっていて美しかった。月山神社参拝。三角点はわかりにくい場所だった。下山後山寺へ移動し参拝。
剣山
頂上付近は一面の霧氷で四国とは思えない寒さだった。剣の名前とは裏腹に、山全体が緩やかな高原。
石鎚山
ロープウェー、リフトで成就社へ。試しの鎖踏破。下山後道後温泉へ。
九重山
長者原ビジターセンターより入山、法華院温泉山荘泊。翌日久住山登頂、牧ノ戸下山。
祖母山
南阿蘇村よりレンタカー移動. 小雨の中千間原コースでピストン。コースは整備が遅れている。
阿蘇山
高岳火山規制中のため、阿蘇五岳の烏帽子岳に登山
八甲田山
八甲田山ロープウェイで中腹まで。残雪の残る大岳、美しい高層湿原の毛無岱(けなしたい)を経て酸ヶ湯温泉に下山。ここで宿泊して千人風呂を味わった。
岩木山
新幹線+レンタカー利用の鉄道の旅で東北5座探訪。麓のリンゴ畑から見上げる津軽富士は端正だった。岩木山スカイライン駐車場から徒歩往復2時間半。晴天で津軽半島を望むことができた。
八幡平
穏やかな丘陵が広がる高原。雪融けのタイミングで鏡池のドラゴンアイに遭遇できた。
岩手山
「ふるさとの山に向ひて言うことなし」と啄木が歌った岩手のシンボル。盛岡から見る南部富士の穏やかな様相に反して、頂上に近づくほど地形が複雑で登りに苦労した。
早池峰山
タイミングよく、お目当てのハヤチネウスユキソウに出会うことができた。この山は北上山地の宝石のような存在だと思う。
甲斐駒ヶ岳
北沢峠こもれび日山荘前泊. 前日からの大雨で登山難航。最終バスにて北沢峠より下山。
大山
秋の行楽期の日曜日で賑わっていた。よく整備された自然公園的な山。ビジターセンター等設備も整っている。
光岳
芝沢ゲートから入山。易老岳~イザルヶ岳はトラバース及びガラガラの沢登。頂上部の眺望、快適さに感激した。光岳小屋泊。
利尻山
鴛泊登山口より日帰り往復。日本最北端の秀峰は晴天に恵まれて絶景。山容、眺望、北の旅情・・・、心に残る名山だった。
羅臼岳
岩尾別温泉「地の崖(はて)」より日帰りピストン。先行の青年がヒグマに遭遇し、登山道でしばらく待機。知床半島が細く伸びる両側にはオホーツク海と太平洋、国後島も。
斜里岳
清岳荘登山口より往復12時間。往路旧道から徒渉、復路尾根道を下る。沢登りのコースはまるでテーマパークのように楽しめた。
雌阿寒岳
(阿寒岳)
火口の火山地形が圧巻。阿蘇九重に並ぶ。温泉名湯。
鳥海山
登山口では好天だったが御浜小屋以降小雪。頂上大物忌神社付近は5㎝ほどの積雪で登山者が少なくトレースが不確か。時間の関係で新山には登らず下山。
朝日岳
古寺鉱泉より入山。2日間とも快晴。頂上のご来光、影朝日を拝む。大朝日岳避難小屋は無人。寒気が厳しかった。
塩見岳
鳥倉ゲートより日帰りピストン。まだ積雪はなく終日快晴に恵まれた。南ア山脈と富士山の眺望がすばらしい。
白山
冬期の閉山期となり、別当出合の吊り橋の踏板が撤去されており、観光新道より登山。白山室堂の避難小屋泊。翌朝晴天の中御前峰登頂。帰路、深田久弥文学館に立ち寄り。
飯豊山
御池野営場登山口より入山、三国岳避難小屋泊。岩稜、残雪が多く難易度が高いコースだった。百名山の中でも困難な山だと思う。
トムラウシ山
東大雪荘泊、短縮登山口より日帰り往復。ガラガラとした岩場の多い登山道だが庭園風の湿原もあり変化に富んだ山だった。
荒川岳
(悪沢岳)
椹島より千枚小屋まで登り、避難小屋(百枚小屋)泊。翌日暴風の中を出発し、千枚岳を経て悪沢岳に到達。
赤石岳
千枚小屋経由、悪沢岳、中岳を経て山頂へ。頂上の明石岳避難小屋泊。天候に翻弄され、百名山の中でもっとも困難な登山になった。
聖岳
聖平小屋テント泊。疲労困憊の登山だったが、終日快晴に恵まれ、360度の山岳展望が得られた。
幌尻岳
山中の避難小屋幌尻山荘に2泊。20ヶ箇所を越える徒渉があり百名山最難関の評価が定着している。大雨のため難航した。カールをいくつも抱いた山頂は美しかった。
槍ヶ岳
新穂高温泉より飛騨沢ルート。槍ヶ岳山荘泊。雨天で途中で出会った登山者はゼロ。槍ヶ岳は終始ガスの中で勇姿は望めなかった。
剱岳
馬場島より早月尾根往復。早月小屋泊で午前3時に出発しカニのハサミ付近で日の出を迎えた。
穂高岳
上高地より涸沢カール、ザイテングラート経由穂高岳山荘泊。翌朝頂上で御来光を仰ぐ。
羊蹄山
(後方羊蹄山)
真狩村羊蹄自然公園から往復、羊蹄山避難小屋泊。頂上のお鉢巡りの間だけ雲が切れて青空に恵まれ、百名山完登の瞬間に特別な彩りを添えてくれた。
白馬アルパインホテル(旧やまろく旅館)代表取締役。
「日本山岳スキー発祥の地」とされる白馬八方尾根において、草創期から地元案内人や山小屋運営を担ってきた丸山家の三代目。
祖父・勇次郎氏、父・吉雄氏の志を継ぎ、長年にわたり明治大学八方尾根山寮の管理人、および山岳部・炉辺会の現地連絡所として、合宿や遭難対策、懇親の活動を全面的に支えてきた。
1997年(平成9年)、宿をリゾートホテルへと新装した際には、明治大学山岳部(Meiji Alpine Club)の“Alpine”にちなみ「白馬アルパインホテル」と名付け、両者の絆を未来へと繋いだ。
還暦を機に本格的な登山を始め、11年をかけて2025年に日本百名山完登を達成。現在は、山を愛する宿泊客を温かく迎える傍ら、自らも山歩きを愉しんでいる。



