明治大学山岳部と炉辺会の100年の歩みは、山岳遭難を抜きには語れません。これまでに国内の山で12名、海外の山で4名の尊い命が失われました。どんなに悲しい遭難も、歳月とともに記憶は薄れていきます。それでも遭難の教訓を後世に伝え続けることが、山に登る者の責務だと炉辺会は考えてきました。
山岳部には「食器が汚いと遭難する」という部訓があります。小さなことをおろそかにする気の緩みが、遭難につながるという戒めです。このページでは、遭難の記録と、遭難を防ぐための取り組みを紹介します。
目次
遭難史と遭難防止の取り組み
1957(昭和32)年3月の白馬鑓ヶ岳での二重遭難を重く受け止めた炉辺会は、山岳部内に「遭難対策委員会」を設け、山岳遭難の事例を調べて原因をつかむことを遭難防止の出発点としました。その成果は1964(昭和39)年に『遭難の実態』としてまとめられています。
白馬鑓ヶ岳の二重遭難(1957年)
1957年3月、春山合宿中の事故で負傷した部員を捜していた捜索隊を、白馬岳・杓子沢で二度の雪崩が襲いました。明大生3名と千葉大生2名が亡くなったこの遭難は、山岳部の遭難対策の原点になっています。
山に眠る岳友たち
遭難史の記事では、亡くなった岳友一人ひとりについて、山行の計画やメンバー、遭難の経過を記録しています。
- 故 針ヶ谷 宗次(昭和 5 年入部)
- 故 人見 卯八郎(昭和10年入部)
- 故 飯田 貞夫(昭和22年入部)
- 故 右川 俊雄(昭和34年入部)
- 故 矢沢 剛(昭和34年入部)
- 故 石島 修一(昭和43年入部)
- 故 近藤 芳春(昭和38 ~ 42年在部)
- 故 松本 明(昭和54年入部)
- 植村直己の最期 ―1984年デナリ冬期単独登頂と遭難の記録
- 故 大西 宏(昭和57 ~ 61年在部)
- 故 加藤 慶信(平成6 ~ 12年在部)
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