MAC・炉辺会– category –
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明治大学山岳部&炉辺会 – 登山以外の活動史まとめ
それぞれの想いや期待に胸ふくらませ明治大学山岳部に入部した学生は、この100年で400人を超える。自ら鍛え上げるため、また登攀技術を磨くため厳しい自然の中で、山の頂をめざし登山に専念する一方、山の奥深さに魅了され、さまざまな分野に足跡を残し... -
関 裕一(平成11年卒)- 山岳部での経験を山岳映像撮影に活かす
学生時代にガングスタン(6162m)、マナスル(8163m)と二度の海外遠征に参加、いずれもファイナル・ピークに立った関は、卒業すると日本放送協会(NHK)に入局し、カメラマンとして番組制作業務に従事する。 ロケデスクを担当していた2016(平成28... -
竹内重雄(昭和8年卒)- 大正時代の風俗画を遺した異色の山岳部OB
大正時代の東京・品川界隈の風景や風俗を水彩画で描き続けた郷土画家で、画文集も出している異色の山岳部OBがいる。1933(昭和8)年、商学部を卒業した竹内重雄である。 1910(明治43)年、東京府下荏原郡大井町南濱川町(現・東大井2丁目)で生まれた... -
根深 誠(昭和45年卒)- ネパールとチベットで独自調査と事業の数々
シャハーンドク初登頂などヒマラヤ遠征で活躍した根深誠は、ネパールやチベットを舞台に、独自の調査や研究で異才を放っている。そこで彼が手掛けた幅広い調査と研究、そして事業をテーマごとに紹介する。 ヒマラヤの河川でイワナ・ヤマメの移植放流事業... -
大塚博美(昭和23年卒)- 雪男探索に執念を燃やしたヒマラヤニスト
1950年代にヒマラヤ登山の発展期を迎えると、遠征した登山隊は雪上に残された大きな足跡に出くわし、“雪男(イエティ)”のニュースが世界を駆け巡った。その発端は、イギリスのエベレスト遠征で主導的な役割を果たしたエリック・シプトンである。 1951... -
故 梶川 清(昭和45年入部)
基本情報 遭難発生日1972(昭和47)年 8 月 2 日山行計画夏山合宿A隊(不帰東面~黒部川・上廊下)遭難場所不帰Ⅰ峰・Ⅱ峰間ルンゼの雪渓上部(滑落死)山行メンバーCL=梶川清、部員=富山洋(昭和45年入部 3 年)、大野正美(同45年入部 3 年)和田耕一(... -
故 染矢 浄志(平成元年入部)
基本情報 遭難発生日1991(平成3)年12月28日山行計画冬山決算合宿:北東稜および東稜から厳冬期利尻山登頂遭難場所利尻山・東稜上1510m、三角岩峰付近(転落埋没死)山行メンバーCL:冨田大(昭和63年入部 4年)SL:宮本功(同63年入部 4年)部員:小杉秀... -
故 大西 宏(昭和57 ~ 61年在部)
遭難情報 遭難発生日1991(平成3)年10月16日遠征計画日中合同登山隊:未踏峰ナムチャバルワ(7782m)の初登頂遭難場所ナムチャバルワのプラトー上部、6200m付近(雪崩による埋没死)遠征メンバー〈日本隊〉隊長:重廣恒夫登攀隊長:高見和成隊員:木本... -
岳友たちの墓銘碑 – 明治大学山岳部&炉辺会の遭難史
明治大学山岳部と炉辺会の歩みを振り返るとき、「山岳遭難」を避けては語れない。これまで国内の山で12名、海外の山で 4 名もの尊い生命が失われた。あのときの遭難から、あのときの捜索から、歳月は容赦なく過ぎ去ってしまった。どんなに悲しく、つらい... -
明治大学山岳部及び炉辺会の海外登山記録 – 単独行および部外登山隊とのクロニクル
日本山岳会をはじめ社会人山岳会や地元山岳会の遠征隊に参加し、自らの夢に挑んだOBは数知れない。また、たった独りで登山や冒険に挑んだOBもいる。ここでは単独で挑んだ記録と、部外の登山隊に参加した記録とをまとめた。 こうした学生およびOBたちの...