MAC・炉辺会– category –
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明治大学山岳部/炉辺会100年の歩み
第6期(1971-1974年) 続発する遭難、低迷から部の再建へ
活動方針に揺れる山岳部と連続遭難 1960年代半ばから大学紛争でキャンパス封鎖が頻繁になり、部室での合宿準備ができない状況となる。そのころ日本の登山界では社会人山岳会の台頭が著しく、大学山岳部は沈滞化を余儀なくされていた。こうした風潮を打破す... -
明治大学山岳部/炉辺会100年の歩み
第5期(1953-1970年) 明暗重なる成長期
未曾有の白馬二重遭難、続く1年生の死亡事故 世の中が落ち着きを見せ始めた1953(昭和28)年4月、第10代の山岳部長として三潴信吾先生が着任する。この年の主将・中村雅保は極地法一辺倒から新たな目標を模索する。冬山合宿は横尾尾根からの極地法に加え、... -
明治大学山岳部/炉辺会100年の歩み
第4期(1946-1952年) 戦後の再出発を期した苦難の道
終戦を経て山岳部再建へ 1945(昭和20)年8月15日、長い戦争がようやく終わった。しかし、授業は再開できる状態ではなく、戦地から、また勤労動員先から軍服姿の学生が戻ってくるだけだった。在京部員の中には空襲で家もなくなり、ひと握りの米とひと袋の... -
明治大学山岳部/炉辺会100年の歩み
第3期(1941-1944年) 戦時下でぎりぎりの山行、やがて休部へ
戦場に散った山仲間たち 終戦から77年の歳月が流れ、悲惨な戦争体験を知る世代は鬼籍に入ってしまった。機関誌『炉辺』や会報「炉辺通信」に、多くの先輩たちが戦時下の山岳部について原稿を残している。1941(昭和16)年から終戦(1945年)までの5年間は、... -
明治大学山岳部/炉辺会100年の歩み
第2期(1929-40年) より高みを目指した胎動期
第2世代の登場で新たな挑戦 昭和初期までに北アルプスの主な峰々は踏破され、各大学山岳部はより厳しい積雪期および厳冬期登頂にしのぎを削り、さらに困難な縦走の挑戦へと切磋琢磨する時代に入った。こうした最中の1929(昭和4)年11月、明大、早大、法... -
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第1期(1922-28年) 山岳部が誕生するも多難な旅立ち
関東大震災と設立者・米澤の急逝 1922(大正11)年6月16日、馬場忠三郎と磯部照幸が立ち上げた「予科山岳会」に、米澤秀太郎や北畠(旧姓:新田)義郎らの「スキー倶楽部」が合わさり、「明治大学山岳会」が誕生する。このとき学友会の委員であった米澤...
