炉辺通信– tag –
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歴史と人物
「Play back 100年 あの日、あの時」全18回ダイジェスト ―明大山岳部100年の秘話をたどる
鳥山文蔵会員が『炉辺通信』183〜200号に連載した「Play back 100年 あの日、あの時」全18回のあらましと、各回のウェブ記事への案内。 -
海外登山・遠征
国際アルピニスト集会に参加した明大の2人 ―植村直己と伊藤頌司、1967年シャモニ
フランス山岳連盟が主催し、シャモニの国立スキー登山学校で隔年開催された「国際アルピニスト集会」。1967年の第5回に日本代表として参加した植村直己と伊藤頌司の2人が、なぜ選ばれたのか。その経緯と現地での日々、集会の意義をたどる連載最終回。 -
海外登山・遠征
波乱に富んだ、初めてのヒマラヤ遠征 ―登頂したピークはゴジュンバ・カンⅡ峰
幻となったギャチュン・カン計画、ネパールの登山禁止令直前の“滑り込みセーフ”の許可取得、現地で判明した山名の混乱。植村直己の手記と帰国後の隊員座談会から、明大山岳部初のヒマラヤ遠征・ゴジュンバ・カンⅡ峰初登頂をたどる。 -
海外登山・遠征
2年連続 南半球での海外合宿 ―明治大学体育会山岳部ニュージーランド親善登山隊
東京オリンピックの1964年と翌65年、学生主体のパーティが2年続けてニュージーランド最高峰マウント・クックに挑んだ。「親善登山隊」の名に込められた時代背景から、海外合宿という斬新な試み、2次隊の登頂までをたどる。 -
遭難史・安全登山
白馬二重遭難 連鎖雪崩の謎 ―雪崩は天災ではなく、人災ではなかったのか?
1957年3月、白馬杓子沢で捜索隊を襲った二度の雪崩。槇有恒氏がほのめかした「米軍機墜落による雪崩説」に焦点を絞り、雪崩発生との因果関係と、それを遭難原因と擦り付けることを潔しとしなかった当時の諸事情を探る。 -
海外登山・遠征
アラスカ学術調査とマッキンリー登山 ―マルチなメディア戦略でアピール
本学創立80周年記念事業として実施された「アラスカ地域総合学術調査団」とマッキンリー登山。外貨取得が難しい時代の資金集めから、新聞・テレビ・出版を巻き込んだメディア戦略まで、戦後初の海外遠征の裏事情を探る。 -
歴史と人物
戦時下で苦悩した山岳部長先生たち ―戦後の発展を導いた3人の恩師に捧ぐ
戦争という逃げ場のない時代に、部員たちに寄り添い、支えようとした明治大学山岳部の部長先生たち。末光績先生をはじめ、戦中・戦後を通じて山岳部を導いた3人の恩師の苦悩と足跡をたどる。 -
海外登山・遠征
創部後初めての海外遠征 ―当時の新聞記事から台湾偵察行のふみあと
1939(昭和14)年、明大山岳部は創部後初めての海外遠征として台湾に偵察隊を送った。準備を支えた末光績部長の人脈と、新たに見つかった新聞連載「台湾の山々を探る」から、次高山・新高山登頂までの偵察隊の足跡を再録する。 -
国内の山行・紀行
穂高の岩壁に刻んだ「明大ルート」 ―小国達雄と人見卯八郎、前穂高岳東南面への挑戦
前穂高岳・北尾根第4峰東南面に母校の名を刻んだ「明大ルート」。岩登りの礎を築いた先輩たち、社会人クライマーとの交流で技術を磨いた小国達雄と人見卯八郎の二人が新ルートを切り拓くまでをたどる。 -
国内の山行・紀行
吹雪よ静まれ! 生死を分けた厳冬期登山 ―後立山を初縦走した明大隊と加藤文太郎遭難の軌跡
1935(昭和10)年末、完成したばかりの八方尾根・明大山寮から後立山連峰の厳冬期縦走に向かった明大隊。同じ大寒気団に襲われ槍ヶ岳・北鎌尾根で遭難した加藤文太郎一行の行動と重ね合わせ、二つのパーティの踏み跡を追う。
