MAC・炉辺会– category –
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『気持ちで負けるな』: 第8代山岳部部長 小島憲が語る戦後山岳部再建の秘話
小島憲の肖像。画像出典:明治大学デジタルアーカイブ - 焼け野原から再起する部員を「気持ちで負けるな」とエール- 戦時下の小島憲(こじま けん)先生は、勤労動員部長として奔走していた。そのとき勤労動員に通っていた大塚博美と広羽清の2人は、石川... -
9年間の献身:第7代山岳部長 末光績が明治大学山岳部に残した功績
末光績の写真。画像出典:愛媛の伝承文化 - 部員から名誉リーダー章を贈られた「名誉部長」- 1934(昭和9)年5月、第7代目の山岳部長として末光績(すえみつ つむぐ)先生が就任する。戦前において9年間という、最も長く在任した部長である。 先生は1924... -
太田直重先生、山岳部長就任とその背景 ~ 異色の理数科教授 ~
– 山岳部長では異色の理数科教授 – 山岳部には珍しい理数系出身の部長が就任する。その人は太田直重(おおた なおしげ)先生である。予科では神宮徳壽先生の6歳年下の後輩に当たる。太田先生は部長に就任する1年前の1932(昭和7)年7月31日、神宮徳壽先生... -
近代スポーツの父・春日井薫:明大山岳部に刻んだ情熱と教育理念
春日井薫の肖像。画像出典:明治大学デジタルアーカイブ – 近代スポーツ発祥の地イギリスから学んだ「体育会の父」- 初代の大谷美隆部長に次いで2人目の大学先輩である春日井薫(かすがい かおる)先生が、第5代山岳部長として就任する。先生は1923(大正1... -
二度にわたり山岳部を牽引してくれた岳人教授 – 第4代山岳部長 神宮徳壽教授
– 二度にわたり山岳部を牽引してくれた岳人教授 – 配属将校・摺沢部長の異動命令は、陸軍から事前予告がなかったためか、大学側は急きょ、後任の山岳部長を決める必要性に迫られた。イレギュラーのタイミングであったため、経験者でもある前任の神宮徳壽... -
軍人部長が築いた絆と改革 – 明大山岳部を変えた摺澤少佐の功績
– スキー部誕生に貢献した配属将校 – 1925(大正14)年4月、「陸軍現役将校学校配属令」が公布され、官立、公立、私立の学校に陸軍の現役将校が配属された。当時、大学では学校教練が実施され、心身の鍛練と資質向上のため体育を促進し、併せて国防能力... -
“クソ(苦素)”と呼ばれた明大山岳部長・神宮徳壽の軌跡と功績
- 哲学的に山岳思想を説いた指南役 - 神宮徳壽(じんぐう よしとし)部長は、大正末期から昭和初期にかけ、明大山岳部の草創期に大きな足跡を残した。山岳部長に二度も就き、また、初代の炉辺会長も務めるなど、我が山岳部の部史を語るには、欠くことので... -
明治大学初代山岳部長・大谷美隆の功績と絆 (任期:1922年8月~1924年3月)
- スイス・アルプスの話を部員たちに語ってくれた先輩部長 - 初代山岳部部長に就任した大谷美隆 明治大学に誕生したばかりの山岳部に、山岳部長として初めて就任した先生は、同窓の先輩である大谷美隆(おおたに よしたか)氏である。明治大学山岳部は、19... -
明治大学体育会山岳部OB・OG会の部報『炉辺』 – バックナンバーと目次のご紹介
炉辺の役割 『炉辺』は、明治大学体育会山岳部OB・OG会が発行する部報で、創刊は1924年にさかのぼります。最新号は2023年に発刊された第11号です。長い歴史を持つ『炉辺』は、部長、部員や卒部生による登山紀行、山岳研究、翻訳記事など多彩な内容を掲載... -
明治大学山岳部及び炉辺会の関係出版書籍一覧
年著者および発行者書籍名出版社・発行所発行年月日昭和4宮前金三郎秩父山岳会の山岳誌「秩父嶺」秩父山岳会1929年昭和8宮川恒夫ほか共著スキー地案内三省堂1933年12月昭和9三輪豊太郎雑誌「モダンスポーツ」運動評論社1934年1月昭和9宮川恒夫ほか共著「ゲ...