活動史– category –
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遭難史
故 近藤 芳春(昭和38 ~ 42年在部)
基本情報 遭難発生日1977(昭和52)年 5 月 13 日遠征計画未踏の東壁からヒマルチュリ(7893m)登頂遭難場所ヒマルチュリ東壁のJACルート(雪庇崩壊の氷塊が頭部直撃)遠征メンバー(「海外登山史」参照) 遭難概要 「明治大学ヒマルチュリ登山隊」は19... -
遭難史
故 石島 修一(昭和43年入部)
基本情報 遭難発生日1971(昭和46)年 9 月 26 日山行計画第 2 次夏山合宿(上級生強化、穂高岳・涸沢定着)遭難場所北穂高岳・滝谷第 4 尾根(墜落死)山行メンバーCL=石島修一( 4 年)、部員=河野照行(昭和44年入部 3 年)、佐々木洋一(同44年入部 ... -
遭難史
故 矢沢 剛(昭和34年入部)
基本情報 遭難発生日1959(昭和34)年 12 月 24 日山行計画冬山・剱岳合宿(新人は高所幕営と稜線歩行、上級生は登攀技術強化)遭難場所立山・雷鳥沢 雷鳥荘東側テントサイト(雪崩による埋没死)山行メンバーCL=田村宏明(昭和31年入部 4 年)、SL=赤松... -
遭難史
故 右川 俊雄(昭和34年入部)
基本情報 項目内容死亡日1959(昭和34)年 8 月 13 日山行計画夏山・南アルプス合宿(全山縦走)山行メンバー前半縦走A班(甘利山~鳳凰三山~白根三山~塩見岳~三伏峠)CL=田村宏明(昭和31年入部 4 年)、SL=三室喜義(同32年入部 3 年)、鈴木伊和雄... -
遭難史
白馬鑓ヶ岳・二重遭難
故 五十嵐 弘(昭和27~31年在部)、故 荒井 賢太郎(昭和29年入部)、故 佐藤 潔和(昭和30年入部) 基本情報 遭難発生日1957(昭和32)年 3 月 12 日山行計画昭和31年度春山:杓子尾根合宿新人隊は鑓ヶ岳から唐松岳の稜線登高上級生隊は鑓ヶ岳北稜と南稜... -
遭難史
故 飯田 貞夫(昭和22年入部)
基本情報 遭難発生日1952(昭和27)年 3 月 12 日(推定)山行計画昭和26年度春山合宿:早月尾根から極地法で剱岳にアタック、同時に高所幕営して八ツ峰など剱岳周辺の登攀遭難場所剱岳・早月尾根の松尾平(疲労凍死)山行メンバーCL=高橋進(昭和24年入... -
遭難史
故 人見 卯八郎(昭和10年入部)
基本情報 遭難発生日1938(昭和13)年 9 月 24 日山行計画谷川岳・マチガ沢での岩登り山行遭難場所谷川岳・マチガ沢本谷(墜落死)山行メンバーL=人見卯八郎、小国達雄(昭和10年入部)部員=後藤大策(同11年入部)、松永豊(同12年入部)、国貞和夫(同... -
遭難史
故 針ヶ谷 宗次(昭和 5 年入部)
基本情報 遭難発生日1934(昭和 9)年 8 月 11 日山行計画夏山山行後の穂高・涸沢上級生山行遭難場所北アルプス・横尾本谷に架かる丸木橋(転落、水死)山行メンバー北穂高岳隊:L=針ヶ谷宗次部員=峰島秀一(昭和6年入部)、白井守二(同8年入部)、久保... -
活動史
岳友たちの墓銘碑 – 明治大学山岳部&炉辺会の遭難史
明治大学山岳部と炉辺会の歩みを振り返るとき、「山岳遭難」を避けては語れない。これまで国内の山で12名、海外の山で 4 名もの尊い生命が失われた。あのときの遭難から、あのときの捜索から、歳月は容赦なく過ぎ去ってしまった。どんなに悲しく、つらい... -
活動史
明治大学山岳部&炉辺会会員 – 8000m峰14座登頂クロニクル
8000m峰14座登頂クロニクル No.山 名標高ルート登頂年月日登 頂 者1EverestエベレストChomolangma8848m南東稜1970.5. 11植村直己(日本人初登)北 稜1988.5. 5山本宗彦南東稜1989.10. 13三谷統一郎、山本篤、大西宏北 稜2005.05. 27加藤慶信(無酸素登...