活動史– category –
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登山以外の活動史
根深 誠(昭和45年卒)- ネパールとチベットで独自調査と事業の数々
シャハーンドク初登頂などヒマラヤ遠征で活躍した根深誠は、ネパールやチベットを舞台に、独自の調査や研究で異才を放っている。そこで彼が手掛けた幅広い調査と研究、そして事業をテーマごとに紹介する。 ヒマラヤの河川でイワナ・ヤマメの移植放流事業... -
登山以外の活動史
植村直己(昭和39年卒)- 単独行の北極圏で観測と採集に尽力
北極点犬ぞり単独到達で名を馳せた植村直己であるが、その陰で科学的、博物的活動を行ったことは余り知られていない。彼は貴重なサンプルやレプリカを採集し、北極圏の自然環境や氷河地形を知る上で大きな成果を持ち帰った。 単独で向かう北極点とグリ... -
登山以外の活動史
大塚博美(昭和23年卒)- 雪男探索に執念を燃やしたヒマラヤニスト
1950年代にヒマラヤ登山の発展期を迎えると、遠征した登山隊は雪上に残された大きな足跡に出くわし、“雪男(イエティ)”のニュースが世界を駆け巡った。その発端は、イギリスのエベレスト遠征で主導的な役割を果たしたエリック・シプトンである。 1951... -
登山以外の活動史
森谷周野(昭和14年卒)- ふるさとの民俗調査に捧げた国鉄マン
民俗学への目覚めと「高志路会」への参加 高橋文太郎が傾注した民俗学に、清新な刺激を受けるひとりの山岳部員がいた。高橋より11歳若い森谷周野である。雪国・新潟育ちの森谷は、地元の山村に息づく風習や習俗に接し、民俗学に興味を抱くようになる。新... -
登山以外の活動史
高橋文太郎(昭和2年卒)- 習俗や伝承を調べた孤高の民俗学者
高橋文太郎は登山に打ち込む一方、機関誌『炉辺』の発行や執筆で多彩な才能を発揮し、とりわけ戦前まで民俗に関わる執筆の旺盛さには驚くばかりである。 彼の民俗学に関する第1作は、1928年(昭和3年)3月に刊行された民俗雑誌『旅と伝説』に「伝説と... -
遭難史
山岳遭難防止に取り組んだ「遭難実態調査」- 明治大学山岳部遭難対策委員会
我が山岳部の教えに――「食器が汚いと遭難する」という教訓がある。一見山と無関係な言葉のようにも聞こえるが、基本的な行為や小さなことを疎かにしたり、いい加減に扱うと「遭難が起きるぞ」という戒めを指している。すなわち、「ウェアのポケットはち... -
遭難史
故 加藤 慶信(平成6 ~ 12年在部)
遭難情報 遭難発生日2008(平成20)年10月1日遠征計画日本クーラ・カンリ登山隊2008:未踏の北稜ルートからクーラ・カンリ(7538m)初登頂を目指し、東峰(7381m)、中央峰(7418m)を経て主峰へ3山初縦走遭難場所クーラ・カンリの支尾根6000m付近(雪... -
遭難史
故 大西 宏(昭和57 ~ 61年在部)
遭難情報 遭難発生日1991(平成3)年10月16日遠征計画日中合同登山隊:未踏峰ナムチャバルワ(7782m)の初登頂遭難場所ナムチャバルワのプラトー上部、6200m付近(雪崩による埋没死)遠征メンバー〈日本隊〉隊長:重廣恒夫登攀隊長:高見和成隊員:木本... -
遭難史
故 植村 直己(昭和35~39年在部)
基本情報 遭難発生日1984(昭和59)年 2 月13日(推定)登山計画デナリ(旧名マッキンリー、6190m)冬期単独初登頂遭難場所デナリ・パス付近(推測、行方不明) 遭難概要 植村は2月1日から登山を開始し、彼が書き留めた日記は6日で終わり、7日以降の足... -
遭難史
故 松本 明(昭和54年入部)
基本情報 遭難発生日1979(昭和54)年 7 月 30 日山行計画夏山合宿遭難場所南アルプス・笊ヶ岳の猿公平山行メンバー本隊CL=中西紀夫(昭和51年入部 4 年)、SL=吉田湖丘夫(同52年入部 3 年)部員=横掘正基(同51年入部 3 年)、倉津静子(同52年入部 3...