特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

植村直己(昭和39年卒)- 単独行の北極圏で観測と採集に尽力

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 北極点犬ぞり単独到達で名を馳せた植村直己であるが、その陰で科学的、博物的活動を行ったことは余り知られていない。彼は貴重なサンプルやレプリカを採集し、北極圏の自然環境や氷河地形を知る上で大きな成果を持ち帰った。

 単独で向かう北極点とグリーンランドは、科学者や研究者がたやすく立ち入ることができない場所だけに、植村は何か研究調査に役立ちたいと考えた。そこで名古屋大学水圏科学研究所に出向き、北極圏での観測や調査について相談した。

 名大水圏科学研究所は、前人未踏のグリーンランド縦断という計画に強い関心を寄せ、またとないチャンスと北極圏での様々なデータ採集と観測を植村に依頼、軽量化した観測機材を提供することになる。

 名大水圏科学研究所は植村の犬橇走破を最優先に、特定の地点で長期にわたる調査や観測は控え、長期間にわたる犬橇コースに合わせ、無理のない採集を依頼した。

 一方で植村は日本を出発する前、グリーンランドの氷床の厚さを調査しようと考えた。ところが、この調査方法は氷床を人工爆破し、その振動波で厚さを測定することから器材がかさばり、犬ぞりに積み込む余裕がないと断念する。

 1978(昭和53)年3月5日、植村は犬橇「オーロラ号」でエルズミア島を出発、56日間をかけ約800㎞を走破し、4月29日、北極点に到達する。その後、5月12日にグリーンランド北端のモーリス・ジェサップ岬を出発、グリーンランドの縦断に入り、3ヶ月余りを犬橇で駆け抜け、8月22日、南端のヌナタックに着き、半年にわたる長い旅を終えた。

 こうした長旅での一連の標本採集や観測について、植村は著書『北極点グリーンランド単独行』に次のように書いている――。

(前略)降雪があったので、サンプリングを行ない、降雪の水の採取と写真撮影とレプリカ法による雪の鋳型をとった。今度の旅では、学術調査のための氷雪サンプリングを行なうことになっている。北極圏の自然に関する研究は最近とみに進んできたと聞いているが、場所が場所だけに、研究素材の入手がなかなかむずかしいようだ。私の旅はもとより勝手気ままな夢から発しているのだが、サンプリングによって少しでも世間のお役に立てれば、これに越したことはない。そう思って、出発前に、名古屋大学水圏科学研究所の伏見碩二さんに相談した。

 伏見さんの指示にしたがって、次のような氷雪サンプリングを行なうことになった。

(1)空気。500㌔ごとにポンプで吸入し、試験膜に付着するゴミによって、空気の汚染度みる。
(2)雪の鋳型。降雪をレプリカ液をぬったスライドに固定させる。
(3)水の採取。緯度1度(110㌔)ごとに積雪を溶かし、50㏄のポリタンクに入れる。また降雪のたびごとに、新雪を溶かして50㏄のポリタンクに入れる。
(4)降雪の写真撮影。降雪のたびに黒いラシャ地の布に受け、接写する。

 以上の4つが私のなすべきことだが、北極点までの旅では、正直言ってそれどころではなく、雪の鋳型と降雪の写真撮影は十分にできなかった。グリーンランドでは、できるだけ忠実にサンプリングを行ないたいと思う。ほとんどが前人未踏の地であるだけに、何がしかのお役に立つのではないかと思う。(5月15日の記述より)

 グリーンランドとエルズミア島の走破コース20地点で、100㎞ごとの雪結晶レプリカ作成と写真撮影は、雪結晶の種類と気象条件の関係を調べる上で役立った。また、北極点からグリーンランド南端までの36地点で新雪を溶かした水のサンプルは、雪に含まれる酸素の安定同位体など化学的物質を調べる貴重なサンプルとなった。

 さらに、北極点からグリーンランド南端までの18地点で採集されたエアロゾル(大気中に浮遊する微妙な粒子)は、雨や雪が降るメカニズムで重要な働きをする粒子を探す上で役立った。

 とくに北極点までの行程は、乱氷群を鉄棒で崩してルートを切り拓き、また、ブリザードが襲うなど苦闘の連続であった。そのためアザラシ皮のミトン(2本指の手袋)のままでは器具を操作することができず、素手でやると手はすぐかじかみ感覚が消えるという中、凍傷のリスクを負っての観測となった。

 後半戦のグリーンランド縦断に入ると、犬橇の帆に風を受け順調に走行できるようになり、植村自身に心の余裕も出始め、定点採集や観測に力を注いだ。ちなみに6月19日の記述には「雪。マイナス8度。風はないが、雪で視界はゼロに近い。休養のために停滞する。(中略)こういう日には、私はすることがなく、のんびりと雪の鋳型や水や空気のサンプリングをしている」と書き留めている。

 これら植村が持ち帰ったサンプルやレプリカは、名大水圏科学研究所をはじめ米国でも解析され、気象状況や大気との因果関係を調べる上で重要な基本データとなった。また、今回の冒険行で移動手段として犬橇を使ったが、この犬橇の滑り具合が意外にも北極圏での気象資料に結び付くことになる。

 犬ぞりを始めたころは零下56度Cという極寒の中を走り、まるで砂地の上を曳いていく感じで橇は全く滑らなかったという。ところが、グリーンランドの零下15度Cのザラメ雪の上では、帆に風を受けて快適に走行した。この植村の証言は、橇の抵抗が摩擦熱による融解に左右されるという実験結果と照合するものとなった。

 また、植村は誰も通ったことのないグリーンランド縦断で、珍しい氷河地形をはじめ、シロクマやウサギ、カモメなど生物の目撃記録も残している。さらに、自分のいる場所を六分儀で確認しているとき、グリーンランド北部にあるピークの位置が地図と20㎞違っていることを発見する。のちに人工衛星による調査で、植村の指摘が正しかったことが証明された。

 植村直己がマッキンリーで消息を絶ってから6年後の1990(平成2)年、国際北極科学委員会(IASC)が設立され、北極域の大気、海洋、地形のデータベースの拡充に乗り出した。

 21世紀に入った地球は“温暖化”という大きなテーマがクローズアップされている。植村直己が筏で下ったアマゾン流域の熱帯雨林や湿地は、今世紀末に干上がる恐れがあるという。

 また、苦闘しながら登ったヒマラヤの氷河の舌端は、後退を続けている。そして、犬ぞりで駆け巡った北極圏では海氷の融解が加速している。この北極点からグリーンランド縦断で採集、観測された様々なデータが、なんらかの警鐘を鳴らす日があるかもしれない。

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