特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

関 裕一(平成11年卒)- 山岳部での経験を山岳映像撮影に活かす

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 学生時代にガングスタン(6162m)マナスル(8163m)と二度の海外遠征に参加、いずれもファイナル・ピークに立った関は、卒業すると日本放送協会(NHK)に入局し、カメラマンとして番組制作業務に従事する。

 ロケデスクを担当していた2016(平成28)年、北米最高峰デナリ(6190m)頂上からスキー滑降する冒険番組の撮影業務が舞い込んだ。高難度の登山経験を有するカメラマンはおらず、関自身が撮影を担当することとなる。

 2016年5月中旬、気象条件や滑降ルートの状況把握を行うための偵察山行を実施。山岳スキーヤーの佐々木大輔氏を主人公とした出演者2名、山岳ガイド1名、ディレクター1名、カメラマン2名(関と平出和也氏)の計6名でデナリに向かう。

 2週間にわたる偵察山行では、スキー滑降を行う南西壁のルート確認と撮影ポイントの下見、佐々木氏が下見滑降する様子のテスト撮影も実施した。

 翌年の2017(同29)年5月、本番撮影のため出演者3名、山岳ガイド4名、撮影補助2名、ディレクター1名、カメラマン6名の総勢16名は、デナリに入山した。撮影補助には後輩の三戸呂拓也(平成19年卒)も参加している。

 入山から18日目の5月31日、高所順応を目的にノーマル・ルートであるウェスト・バットレスからデナリに登頂する。故植村直己先輩(昭和39年卒)が厳冬期に登ったルートだけに、特別な感慨が胸に湧き起こった。

 登頂後C1に降りて休養を取った佐々木氏を隊長とする滑降隊は、カシン・リッジを登攀し滑降スタート地点を目指す。その様子は登山家でもある平出和也氏が密着取材を行い、スキーを背負って登攀する佐々木氏一行をカメラに収めていった。

 入山から36日目の6月18日、カシン・リッジを完登した佐々木隊は、滑降スタートの準備を整えた。空撮ヘリや各撮影ポイントに無線が飛び交う。ウェスト・リブ4500mで待機していた関も撮影態勢に入った。13時30分、佐々木氏は「行きまーす!」の掛け声とともに南西壁の大斜面に飛び込んだ。

 滑降する南西壁は、標高差2500m、50度を超える圧倒的な大斜面である。広大な斜面は深い新雪やガチガチの青氷など様々な滑走面で構成され、緊張の強いられるスキー滑降となった。撮影隊は地上5ヶ所にカメラマンを配置、さらに空撮、小型カメラと10台ほどのカメラを駆使し、多角的にスキー滑降を撮影、迫力ある映像を獲得した。

 スキー滑降から3ヶ月後、その成果は「世界初 極北の冒険 デナリ大滑降」として全国放送された。

 関裕一はデナリ山中で行動しているとき、植村直己先輩の気配を感じない日はなかった、と言う。また、植村さんが存在していた景色の中で、植村さんと視線を重ねられたような気がした、と振り返った。

 デナリ最終日、関裕一は後輩の三戸呂拓也とともに、植村さんの墓標デナリに手を合わせた。

2017( 平成29) 年5月31日、デナリ山頂に立ってカメラを構える関会員
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