それぞれの想いや期待に胸ふくらませ明治大学山岳部に入部した学生は、この100年で400人を超える。自ら鍛え上げるため、また登攀技術を磨くため厳しい自然の中で、山の頂をめざし登山に専念する一方、山の奥深さに魅了
され、さまざまな分野に足跡を残したOBが数多くいる。こうした先人たちは、それぞれのパフォーマンスを発揮しながら、己のテーマやライフワークに向かって邁進していった。
こうした活動は、華々しい登山や海外遠征などの表舞台には登場しない。しかしある意味、山岳部100年の側面史とも言える。それは清新な活動記録であり、先人の生き方そのものである。そこに明大山岳部らしい骨太の一途
な想いと、体当たりで向き合う心根が宿っているように思えてならない。登山活動とは一線を画すが、それぞれのライフワークに挑んだ彼らの旺盛な活動に耳を澄ませば、先人たちの鼓動や息遣いが聞こえてくる。
目次
民俗学の探求
高橋文太郎(昭和2年卒)- 習俗や伝承を調べた孤高の民俗学者
高橋文太郎は登山に打ち込む一方、機関誌『炉辺』の発行や執筆で多彩な才能を発揮し、とりわけ戦前まで民俗に関わる執筆の旺盛さには驚くばかりである。 彼の民俗学…
森谷周野(昭和14年卒)- ふるさとの民俗調査に捧げた国鉄マン
民俗学への目覚めと「高志路会」への参加 高橋文太郎が傾注した民俗学に、清新な刺激を受けるひとりの山岳部員がいた。高橋より11歳若い森谷周野である。雪国・新潟育…
研究および調査
大塚博美(昭和23年卒)- 雪男探索に執念を燃やしたヒマラヤニスト
1950年代にヒマラヤ登山の発展期を迎えると、遠征した登山隊は雪上に残された大きな足跡に出くわし、“雪男(イエティ)”のニュースが世界を駆け巡った。その発端は、…
植村直己(昭和39年卒)- 単独行の北極圏で観測と採集に尽力
北極点犬ぞり単独到達で名を馳せた植村直己であるが、その陰で科学的、博物的活動を行ったことは余り知られていない。彼は貴重なサンプルやレプリカを採集し、北極圏…
根深 誠(昭和45年卒)- ネパールとチベットで独自調査と事業の数々
シャハーンドク初登頂などヒマラヤ遠征で活躍した根深誠は、ネパールやチベットを舞台に、独自の調査や研究で異才を放っている。そこで彼が手掛けた幅広い調査と研究…
岡澤修一(昭和47年卒)- 氷河地形の調査に捧げた生涯
山岳地形の成り立ちを説明するのに百の理屈よりも、たった一つの物的証拠や事実こそが全てを物語ると言われる。山岳地形や氷河地形の調査に取り組んだひとりのOBがい…
原田暁之(平成2年卒)- 山の地形研究を通じパイオニアワークを実践
原田暁之は1986(昭和61)年4月、明治大学文学部史学地理学科に入学、同時に山岳部に入る。参加した白馬岳での新人合宿で、当時、山岳部長であった小疇尚先生から氷河…
森 章一(平成10年卒)- 夢を夢で終わらせない南極への想い
森章一は2005(平成17)年1月、文部科学省登山研修所から南極観測隊への推薦を受ける。冬期訓練を経て6月に正式採用され、7月1日から東京都板橋区にあった国立極地研…
谷山宏典(平成13年卒)- 8000m峰サミッターからライターへ転進
愛知県立時習館高校を卒業した谷山宏典は、文学部史学地理学科に入学し、新天地での大学生活に胸躍らせた。高校時代も山岳部に所属していた彼は、「冬山に登ってみた…
小久保 裕介(平成18年卒)- 山岳部での経験が結実した氷河研究
小久保裕介は大学院に進み、研究テーマとして氷河地形の調査に打ち込んだ。国内での氷河地形の研究は、古くから北アルプスが対象であった。先輩の岡澤修一が南アルプ…
自然保護活動
数多い明大山岳部出身者の中に、故郷に帰って自然保護運動に身を投じた炉辺会員が 2 人いる。1人は屋久島の自然を守ろうと奔走した赤星昌、もう 1人は雄大な白神山地を守るべく、林道建設に反対運動を起こした根深誠である。赤星は九州の鹿児島出身、根深は東北の青森出身と、日本列島の南と北で「屋久杉」と「ブナ」という、それぞれ故郷の自然林の保護に立ち上がった。ここに、自然を保護する運動に傾注した 2 人の功績を書き留める。
赤星 昌(昭和7年卒)- 屋久島の自然保護を訴えた熱血漢
赤星昌は1904(明治37)年鹿児島市に生まれた。明大商学部に入学し、昭和の初め、発展期を迎える山岳部に籍を置いた。山岳部での渾名は「ダルさん」。戦後の1947(昭…
根深 誠(昭和45年卒)- 白神山地の自然保護に捧げた半生
青森県立弘前高校3年生のとき、根深誠は1965(昭和40)年8月13日から、仲間2人と白神山地の横断に挑んだ。当時、「白神山地」という山地名はなく、その中心部はマタギ…
絵画制作
竹内重雄(昭和8年卒)- 大正時代の風俗画を遺した異色の山岳部OB
大正時代の東京・品川界隈の風景や風俗を水彩画で描き続けた郷土画家で、画文集も出している異色の山岳部OBがいる。1933(昭和8)年、商学部を卒業した竹内重雄である…
山岳映像制作
中尾正武(昭和28年卒)- テレビ草創期に山岳および南極の番組制作
日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)が1959(昭和34)年 2 月に開局した。夏休みは教育番組が休みとなるため、上層部から大塚博美(昭和23年卒)と中尾に、「山の…
赤松威善(昭和35年卒)- 山岳映像撮影で奮闘した名カメラマン
テレビが家庭に普及するまで、「映画」は一般庶民の娯楽の中心であった。学生時代から映画に興味があった赤松威善は、映画製作に携わることを夢見ていた。 映画のカ…
廣瀬 学(平成2年卒)- 世界最高峰からハイビジョン撮影に成功
海外の山々を駆け巡ってきた廣瀬学は、1992(平成4)年春、日本放送協会(NHK)に入局する。長い学生生活を終えて社会人となった彼は、最初の赴任地が札幌放送局とな…
関 裕一(平成11年卒)- 山岳部での経験を山岳映像撮影に活かす
学生時代にガングスタン(6162m)、マナスル(8163m)と二度の海外遠征に参加、いずれもファイナル・ピークに立った関は、卒業すると日本放送協会(NHK)に入局し、…