特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

植村冒険館の特別企画展:未発表写真が綴る「植村直己・わが青春の山岳部」

目次

植村冒険館の特別企画展

 この秋、冒険ファンや登山愛好家にとって見逃せない特別企画展が植村冒険館で開催されます。

 日本を代表する冒険家・植村直己さんの若き日々を記録した、未公開の貴重な写真を初めて公開する展覧会です。題して「植村直己・わが青春の山岳部」。

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場所植村冒険館 (東京都板橋区加賀一丁目10番5号)
開催期間10月8日(火)~2月2日(日)
休館日[休館日]
毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は開館し翌火曜日休館)
年末年始(12月29日〜1月6日)
*10月14日(スポーツの日)、11月4日(振替休日)、1月13日(成人の日)は開館し翌日休館
観覧料無料
備考パンフレットはこちらをクリック (PDF)

 この企画展では、植村直己さんが明治大学山岳部に所属していた学生時代の山登りの様子を約50点の写真で紹介。20歳の若き植村さんが大学2年生の時に、どのようにして彼の冒険家としての基礎が築かれていったのか、その足跡をたどることができます。植村さんがその後世界に飛び立つ大冒険の礎となった青春時代の姿を、未公開の写真を通じて垣間見ることができる貴重な機会です。

 写真提供者は、当時山岳部で植村さんの先輩だった故・平野眞市さんのご遺族。1961年(昭和36年)に撮影された当時の記録を目にすることで、当時の植村さんの仲間たちとの交流や、未熟ながらも大きな夢を抱えていた彼の熱意が伝わってきます。彼の冒険家としての成長を、リアルに感じられる展示です。

剱岳。別山乗越付近から見た東面。植村の主な活動舞台だった
ザックの荷物。下級生は大型のザックのほかに鍋やテントのポールを背負わされる(3番目が植村さん)
昭和35年入部の同期5人と。
大学2年生になり晴れて山岳部の正部員となった。
(昭和36年〈1961年〉6月/後列左端が植村さん・当時20歳)
穂高連峰・涸沢の雪渓にテントを張る。出発前の準備運動。
2年生の夏山合宿は約3週間かけて北アルプス全山を縦走した(右端が植村さん)

植村直己について

植村直己(うえむら なおみ)

昭和16年(1941年)兵庫県生まれ。

 明治大学入学と同時に山岳部に入り本格的な登山を始める。昭和39年(1964年)から約4年にわたり外国を放浪。

 モンブラン、キリマンジャロ、アコンカグアに登頂。昭和45年(1970年)日本山岳会エベレスト登山隊に参加し、日本人として初めてエベレストに登頂。

 続いてマッキンリー(現・デナリ)に登り、世界初の五大陸最高峰登頂者となる。昭和47年(1972年)単身でグリーンランド最北の村に入り、約10ヶ月間暮らして犬ぞりの扱い方などを覚える。

 昭和51年(1976年)春には北極圏1万2000kmの単独犬ぞり走破を達成。昭和53年(1978年)世界初の北極点単独到達、グリーンランド縦断を成功させた。

 昭和57年(1982年)犬ぞりによる南極点最高峰ビンソン・マシフへの往復と単独登頂を計画するが断念。

 昭和59年(1984年)2月世界初の厳冬期マッキンリー単独登頂を果たすが下山中に消息を絶つ。4月国民栄誉賞受賞。

関連イベント/講演会「わが青春の山岳部」

 明治大学山岳部の同期である廣江研さんと1年後輩の節田重節さんに、初公開の写真をご覧いただきながら思い出を語っていただきます。山岳部の活動内容や現場での植村さんの言動など、ともに青春時代を過ごした仲間だからこその視点でより踏み込んだ植村直己の人物像に迫ります。

  • とき=令和6年12月8日(日)14時00分~15時30分(開場13時30分)
  • 出演=廣江研(明治大学山岳部・同期)、節田重節(明治大学山岳部・1年後輩)
  • 会場=板橋区立植村記念加賀スポーツセンター地下1階第一武道場
  • 定員=50名/入場無料【要申込】

※お申し込み方法等詳細は、11月9日(土)から植村冒険館のホームページでご案内します。

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