青森県立弘前高校3年生のとき、根深誠は1965(昭和40)年8月13日から、仲間2人と白神山地の横断に挑んだ。当時、「白神山地」という山地名はなく、その中心部はマタギ以外、地元の人も入らない秘境であった。3人は地図だけを頼りに西目屋村川原平集落から、直線距離で約20㎞離れた白神岳を目指した。17日午後4時前に白神岳の山頂に立った。ブナの大木に目を見張り、焚き火をして沢で捕まえたイワナを食べ、途中で熊に出会うなど、3人は達成感を味わいながら白神山地を離れた。このときの山行は、彼がその後、白神山地の開発に大きな疑問を抱く原点となった。
ブナは“天然の水がめ”と呼ばれ、周辺地域の人々の暮らしを支える水源であった。1970年代になると木材の加工技術が進歩し、ブナの木は床材や家具材、また楽器の材料として活用されるようになり、白神山地のブナも伐採されていった。こうした伐採材を運ぶため、1978(昭和53)年に「青秋県境奥地開発林道開設促進期成同盟会」が結成され、1981(昭和56)年に林道建設の路線が採択された。この秋田と青森の県境を通る「青秋林道」(正式には「広域基幹林道青秋線」)の実施計画を翌年に林野庁が承認、8月から全長29.6㎞、総事業費31億2000万円を投じて着工されることになった。
着工前、根深は白神山地を一緒に横断した同級生から、この林道計画を知らされた。「白神山地を分断する林道計画がある。青森県はどうも乗り気ではない。反対運動を始めたらどうか?」と勧められる。根深は高校時代に感激した白神山地のブナが、チェーンソーで次から次と切り倒されることに我慢ができなくなり、ブナの原生林を守ろうと「白神山地の自然を守る会」を立ち上げ、自ら代表に就いた。
着工前に、根深は工事中止を青森県に要望したが、青秋林道の工事は強行されてしまう。力が加わればボルテージが上がるのが運動の定め。個人の力では限界があると悟った根深は、この運動には有効な組織が必要と考え、1983(昭和58)年4月に9団体を統合し「青秋林道に反対する連絡協議会」(奈良典明会長・弘前大教授)を設立、自ら事務局に就いた。このころから根深は休む暇なく東奔西走し、文筆によるキャンペーンにも精を出した。
しかし、反対運動の態勢は整ったとはいえ、初めは手詰まり状態で、運動を始めて3~4年は先が見えず、焦りが募るばかりであった。さらに個人攻撃が根深に追い打ちを掛ける。彼の自宅の窓が空気銃で割られ、勤め先にも「なんで国や県がやる仕事に邪魔する男を雇っているんだ!」と圧力が掛かった。3年間勤めた会社を馘(くび)になったのは1985年9月だった。
“退職記念”にと3日間、白神山地に入り、昔からマタギの間で近付いてはいけないとされていた沢の滝の上流に、下流で釣ったイワナを30尾ほど運び上げて放流した。運動で擦り減った気力と体力を取り戻すには、時間が必要だった。
1986(昭和61)年秋からの1年間、青秋林道問題は剣ヶ峰を迎える。秋田県側の工事は県境まで進み、1万6000haのブナ原生林に迫ろうとしていた。翌年10月15日、青森県は秋田県が行う越境工事3.5㎞のうち、延長した1.6㎞、2.9ha分の保安林解除を告示した。森林法によると、告示から30日以内に「直接の利害関係者」から異議意見書が出れば、聴聞会を開いて意見を聴かなければならなかった。この規定に「青秋林道に反対する連絡協議会」の根深は飛び付いた。
青森県鯵ヶ沢町に足繁く通った根深は、林道予定地の近くで天然記念物のクマゲラが観察されたこと、また、赤石川に生育するアユは「金アユ」と言われる貴重な資源で、最近になってアユの数が減ったことなどを意見書に取りまとめた。併せて反対署名活動も行われ、その数は1万3202通にまで達した。まさに白神山地の保護運動は1団体の枠を超え、地域に根差した住民運動に広がった。このときのことを根深は――「人間として、ヒマラヤの未踏峰を極めたときより嬉しかった」と述べている。青秋林道問題の風向きは完全に変わった。
国もようやく重い腰を上げた。1988(昭和63)年末、林野庁は全国で起きている保護と開発の対立を調査し、林業と自然保護に関する報告書をまとめた。その中に「原生的な天然林は木材生産機能を無視しても保存すべき」という画期的な内容が盛り込まれ、さらに生態系保護地域の創設を求め、白神山地を含む全国12地域が候補に挙がった。
そして、1990(平成2)年3月、林野庁は白神山地に残るブナ原生林約1万7000haを「森林生態系保護地域」に指定、青秋林道工事の打ち切りが確定した。根深が中心になって立ち上げた「青秋林道に反対する連絡協議会」は目的を達成し、同年6月、足掛け9年の活動を終えて解散する。東北人らしい根深のひたむきさ、粘り強さが白神の自然を守り抜いた。この間、一貫して根深の運動を支えてきた日本自然保護協会(沼田真会長)は、世界自然遺産に白神山地を推挙することを決定する。
ところが、世界遺産登録後、白神山地には全国から旅行者やハイカーなど入山者が一気に増えた。その結果、大量のゴミが出たり、湧き水から大腸菌検出が報告され、人が入れば生態系が崩れるという懸念が高まった。1995(平成7)年11月、青森・秋田両営林局は環境保全を前面に掲げ、白神山地への入山規制に踏み切った。この入山規制は、根深にとって納得できるものではなかった。彼は――「山に入れなくするために保護運動してきた訳じゃない。自然は体験することで大切さが分かる。一体、白神山地は誰のものなんだ」と訴えた。
ここから再び根深は、入山禁止撤回の先頭に立った。彼に白神の価値を教えてくれたのは、山で出会ったマタギたちだった。2年後の1997(平成9)年6月末、入山規制を協議してきた「白神山地世界遺産連絡会議(環境庁・林野庁・秋田県・青森県)」は、秋田県側の入山禁止、青森県側は入山を認める管理方針を発表した。根深は登山を否定する方針に納得せず、白神山地の自然を守るには白神の自然を知ることが必要だと、解禁に向けて舌鋒を鋭くさせた。
彼は終始、青秋林道に反対する運動で青森県側の中核を担った。そして、いまだ白神山地に寄せる情熱は衰えていない。渓流釣りやマタギを題材にした著書をはじめ、白神山地に関する著書や寄稿は、保護運動を世に問い、「白神」を日本全国にアピールし続けている。こうした根深の執筆力には驚かされるばかりだ(執筆一覧参照)。
“自然保護”から“自然との共生”を求める彼の目は、今も故郷の山々を温かく、そして厳しく見守り続けている。赤星昌と根深誠の2人が取り組んだ自然保護活動は、我が山岳部の誇りであり、改めて2人の功績を忘れてはならない。
現在、根深誠は「津軽百年の森づくり」を組織し、世界自然遺産白神山地にふさわしい地元地域社会と自然との共存を掲げて、毎年ブナの苗木を植樹し続けている。
根深 誠 白神山地関連寄稿および著書一覧
寄稿および著書 | 掲載誌および出版社 | 発行年月日 |
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みちのく源流行 | 北の釣り社 | 1980年12月27日 |
白神山地マタギ伝 | 山と溪谷558号 | 1983年6月1日 |
<緊急レポート>我が国最大のブナ原生林を守れ 「白神山地に迫る林道開発の魔手」 | 山と溪谷566号 | 1983年11月1日 |
間伐進む白神山地の原生林~マタギの森が消えてゆく~ | 月刊北の釣り6月号 | 1985年6月1日 |
ブナ原生林白神山地をゆく | 立風書房 | 1987年8月15日 |
津軽白神山がたり | 山と溪谷社 | 1987年10月20日 |
日本最大のブナ原生林を堪能する山旅 | 岳人492号 | 1988年6月1日 |
チベットから来た男―「マタギの春」 | 岩波書店 | 1990年6月6日 |
緊急座談会:「森林生態系保護地域」と守られた知床・白神の原生林 | 山と溪谷661号 | 1990年8月1日 |
東北からのメッセージ(共著)~ブナの山々 | 白水社 | 1990年10月12日 |
白神山地にクマを追い求めて | 炉辺通信95号 | 1990年11月25日 |
山の人生~マタギの村から | 日本放送出版協会 | 1991年10月20日 |
現地対談:鎌田孝一×根深誠 | ||
白神山地に残されたものとその未来 | 山と溪谷678号 | 1992年1月1日 |
森を考える~白神ブナ原生林からの報告 | 立風書房 | 1992年7月25日 |
白神の四季~クマゲラの棲む森 | 白水社 | 1992年10月15日 |
ブナ原生林白神逍遥 | 立風書房 | 1993年8月30日 |
最も重要な「遺産」の保護・管理体制の確立が急務――白神山地 | 山と溪谷702号 | 1994年1月1日 |
緊急鼎談:世界遺産登録を受けた白神山地の「入山禁止」問題のゆくえ(本多勝一・根深誠・鎌田孝一) | 山と溪谷714号 | 1995年1月1日 |
森に漂う腐臭 | 岳人572号 | 1995年2月1日 |
津軽点景~野外の手帖 | マガジンハウス | 1995年6月22日 |
白神山地恵みの森 | 日本交通公社出版 | 1995年12月1日 |
・“立入禁止”の浅はかさを考える ・白神山地の行方 | 岳人587号 | 1996年5月1日 |
白神山地 根深誠さんと行く~世界遺産巡る排除の 論理 | 朝日新聞 | 1996年11月15日 |
白神山地:誌上討論根深誠「周辺地域の自然回復が優先課題」 | 山と溪谷738号 | 1997年1月1日 |
インタビュー:根深誠「世界遺産としての白神山地―今後のありかたを問う」東京農工大学農学部教授鬼頭秀一 | 山と溪谷744号 | 1997年7月1日 |
白神山地をめぐる幻滅と希望 | 岳人603号 | 1997年9月1日 |
続報:白神山地入山規制問題誰のための入山規制か(根深誠+豊田和弘) | 山と溪谷747号 | 1997年10月1日 |
北の山里に生きる | 実業之日本社 | 1998年4月15日 |
自然ブナの森の博物誌 | 白神山地を守る会 | 2000年2月25日 |
自然と融合できる原初の森~白神山地 | 岳人634号 | 2000年4月1日 |
津軽白神山がたり | つり人社 | 2000年6月20日 |
白神山地ブナ原生林は誰のものか | つり人社 | 2001年10月15日 |
白神山地立入禁止で得するのは誰だ | つり人社 | 2001年10月15日 |
白神山地四季のかがやき | JTB出版 | 2002年3月1日 |
白神自然観察ガイド | 山と溪谷社 | 2004年6月15日 |
白神山地~ブナの森・山棲み文化・ナタメの山 | 炉辺通信144号 | 2004年6月30日 |
世界遺産白神山地で創造性のある観光事業を~地域開発ブナ帯文化の拠点に | 社団法人日本観光協会:観光485号 | 2007年2月20日 |
世界遺産・白神山地自然体験・観察・観光ガイド | 七つ森書館 | 2011年8月20日 |
ブナの息吹、森の記憶 | 七つ森書館 | 2013年11月22日 |
白神山地マタギ伝~鈴木忠勝の生涯 | 七つ森書館 | 2014年9月1日 |
懐かしい山と人 | 岳人810号 | 2014年11月15日 |
マタギと水~白神山地を跋渉した、目屋マタギに伝わる水の作法 | 岳人829号 | 2016年6月15日 |
JR五能線で行く白神岳 | 岳人839号 | 2017年4月15日 |
白神山地~ブナの森に残る標 | 岳人840号 | 2017年5月15日 |
山棲みの記憶~ブナの森の恵みと山里の暮らし | 山と溪谷社 | 2019年4月30日 |
渓流釣り礼讃 | 中央公論新社 | 2019年7月25日 |
「孤高の旅人」菅江真澄と白神山地・暗門の滝への道日本山岳会 | 会報「山」904号 | 2020年9月20日 |