活動期間 | 2001(平成13)年 7 月 〜 8 月 |
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目的 | フンザ周辺の生活、農業の変容を捉えるとともに、自然環境の変化を調査し、地球温暖化・地球環境問題の資料を見出す。 |
調査団の構成 | 顧問=小疇尚(山岳部長・文学部教授) 隊長=岡澤修一(昭和47年卒、千葉英和高等学校教諭) 自然班隊員(氷河地形)=小疇尚、岡澤修一、渡邉賢(明治大学大学院生) 人文班隊員(観光・農業地理)=生井貞行(都立南多摩高等学校教諭)、津田知之(千葉英和高等学校教諭)、須合常隆(多摩大学目黒高等学校教諭) 以上 6 名 |
目次
解説
「ガッシャーブルムⅠ・Ⅱ峰登山隊」に同行する学術隊は、山岳部OBの岡澤修一が隊長となる。隊員たちは大学院生を除く全員が教職に就いていることから、夏休みでないと休暇が取れないため、登山隊と時期を合わせず、フンザを中心とする地域で独自に活動した。
ヒマラヤ西端の巨峰ナンガ・パルバット(8126m)が見える辺りまで来ると、川沿いに以前、チョモランマ北方で見たハイアロクラスタイトの黄褐色の地質と玄武岩が出てきた。
インド―オーストラリア・プレートとユーラシア・プレートの境界に差し掛かったことの証明であった。ハイウェイ沿いの氷河地形は、これまで各国の調査で20世紀初頭から氷河の後退が著しいと分かっていたが、顕著な差異は見られなかった。
一方、小疇先生たちは 2 泊 3 日の行程でフンザの中心地カリマバードに着く。フンザは、フンザ川右岸支谷のウルタル谷から吐き出された膨大な氷河堆積物が形成する段丘にある村だった。
2 週間にわたりフンザ川左岸側の支谷に入り、主にバルプ氷河とヒスパー氷河を調査した。いずれの氷河も末端の位置は数百年前の小氷期のころと変わらないように見えたが、氷の厚さの減少は著しかった。また、ヒスパー氷河に合流するキンヤン氷河は、側堆石の様子から見て過去数百年の間に、厚さが100m余りも減少したようだ。
地形に関しての調査は予備的調査にとどめたが、カラコルムにも地球温暖化の影響が随所で見られた。本調査に期待を懸けていたとき、テロ事件勃発で雲行きが怪しくなり、学術隊が帰国して間もなくの 9 月11日、アメリカ同時多発テロが起き、その後の学術調査に暗い影を落とした。
参考文献
- 「炉辺通信」134号(2001年12月発行)岡澤修一「学術隊の行動概要」
- 『明治大学山岳部80年誌』(2002年 6 月発行)岡澤修一「ガッシャーブルムⅠ・Ⅱ峰登山隊・学術隊(2001年)」