特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

日本冬期エベレスト登山隊  学術班 (1980)

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活動期間1980(昭和55)年12月 〜 81(同56)年 1 月
目的エベレストのベースキャンプを中心に、冬季における雪氷・氷河地形、高所医学および気象の調査。併せてエベレストの氷サンプルを採取し、日本に移送する。
学術班構成【氷雪・氷河地形担当】
小疇尚(文学部教授、45歳)
岡澤修一(昭和47年卒、31歳)
吉田稔(名古屋大学氷圏科学研究所・大学院生、 27歳)
【高所医学担当】
植木彬夫(東京医大出身、33歳)
武井滋(東京医大出身、31歳)
【気象担当】
シュレスター(ネパール政府気象庁技官、31歳) 以上 6 名
目次

解説

 植村直己会員は、冬のエベレストでなければできない学術調査を登山隊にドッキングすれば、登山の意義や価値は高まると考えた。そこで高所医学の研究と氷河調査の学術班が編成され、東京医科大学の 2 人のドクターのほかに、氷河調査班として小疇尚教授とOBの岡澤修一、気象と雪氷調査を受け持つ大学院生の吉田稔氏が参加した。

 80年12月、小疇先生と岡澤はサーミスタ自記温度計を使って、厳冬期エベレストにおけるBC付近の気温と岩盤の温度測定をする。その後、 2 人はBCを離れ、 2 週間かけてクーンブ地方の中・東部を一巡、周辺の氷河、周氷河地形を調査する。この行程で真新しい氷河後退の痕跡や岩石氷河、岩塊斜面、礫質構造土などをはじめ、山岳永久凍土地帯の氷河や周氷河地形を随所で観察する。

 この後、ゴジュンバ谷を下り、ポルツェからディンボチェ、チュクンを経てチュクン氷河の末端まで行ってBCに引き返した。調査の結果、どの氷河もかなり後退し、チョラ・ラ西面は全く氷がなくなっていた。また、クーンブ氷河、ゴジュンバ氷河、それにイムジャ谷など多くの氷河は、下流部が完全にモレーン(氷堆積)で覆われ、ガレキの山に変貌していた。

 一方、吉田氏はBC近くに百葉箱を組み立て気象観測に入る。さらにシェルパに手伝ってもらい第 1 キャンプ(C1、6150m)と第 2 キャンプ(C2、 6500m)で氷のボーリングを行う。 1 回目のボーリングは、C1近くのウェスタン・クム氷河にボーリング用の機械を据え、ハンドルの回転でドリルの先端が青氷の中に入っていくボーリング調査を行った。鉄パイプが足りなくなるとつないで10mまで掘ったところ、先端が凍りついて進まなくなってしまった。翌日に引き抜いて、氷のサンプル・コア採取に成功する。

 その後、吉田氏はC2で 2 回目のボーリングを行う。十数m下のアイス・コアを、直径 7   〜  8 ㎝角に切り取って持ち上げるのに成功する。その硬くて青い宝石のような氷は、溶けないように銀紙に包んで容器に納められ、 BCへと運ばれた。このエベレストの氷を日本へ持ち帰り、大阪で開催中の博覧会に展示した後、名古屋大学氷圏科学研究所で分析することになる。

その後、国立極地研究所の低温室へ移されたが、当時まだ分析機器の能力に限界があったため、分析されずに保管されたままになってしまった。34年後の 2014(平成26)年、国立極地研究所の移転で氷のサンプルが見付かり、最新鋭の機器で分析されるというエピソードがあった。

 この学術班の活動は、下記の参考文献にそれぞれ詳しい調査報告が記載されている。その一方、高所医学担当の植木・武井両医師は、登山隊員の健康管理とデータを集めた。

参考文献
  • 「炉辺通信」58号(1981年  7  月発行)小疇尚「日本冬期エベレスト登山隊学術班の活動」
  • 『炉辺』第 9 号(1996年11月発行)小疇尚「ネパールヒマラヤ・クンブ地方の地形」小疇尚・岡澤修一・吉田稔「エベレスト・ベースキャンプにおける冬季の気温観測」
  • 『明治大学80年誌』(2002年 6 月発行)岡澤修一「日本冬期エベレスト登山隊・学術隊」
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