特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

明治大学チョモランマ峰遠征隊 学術班(1991) – 明治大学創立110周年記念

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活動期間1991(平成 3 )年 4 月 〜 5 月
目的これまで調査で空白地域であるチョモランマ東面カンシュン氷河周辺の氷河地形調査。
学術班構成班長=小疇尚(山岳部長・文学部教授、56歳)
班員=岡澤修一(昭和47年卒、千葉英和高等学校教諭、41歳)、下川和夫(札幌女子短期大学助教授、42歳)、高橋伸幸(北海学園大学講師、36歳)
  以上 4 名
目次

解説

 世界最高峰エベレスト(チョモランマ)周辺は、ヒマラヤの氷河地形の研究にとって重要な地域であった。チョモランマ北面チベット側のロンブク氷河周辺は、中国が詳細な調査を行い、エベレスト南面ネパール側のクーンブ氷河周辺も早くから調査されたエリアであった。これまで世界最高峰の北側と南側を対比する調査見解がいくつか出されたが、一致を見ない点もあった。そこで、ヒマラヤ地域や中央アジアの氷期の編年を確立するには、チョモランマ東面調査の必要性が増していた。

 このチョモランマ東面の氷河は、中国が発行した10万分の 1 地形図から読み取るしかなく、詳しい資料はなかった。しかも地図はカンシュン氷河末端付近より東側は正確さに欠け、東面はアプローチが困難で入域制限もあり、未調査の空白エリアであった。この東面のカンシュン氷河に入る調査班は日本人として初めてとなり、期待に胸は膨らんだ。

 調査班スタッフは付近の山で高度順化を行なう。そのとき、黄褐色のハイアロクラスタイトと玄武岩の枕状溶岩の層に出くわす。これこそ深さ数千mのテーティス海の深海底に噴出した海底火山堆積物で、それが 1 万mも押し上げられて、海抜5000mの高所に露出したものだった。カンシュン氷河左岸の5300m弱に仮ベースキャンプを設営した。ここで調査班は氷河左岸を6000 mまで登り、調査する。

 その後、カンシュン氷河を横断してカンシュン・リッジ基部の5400mにベースキャンプ(BC)を建設する。ここで学術班は登山隊と別れ、カンシュン氷河周辺の氷河地形調査に向かう。カンシュン谷はヒマラヤを横切る先行谷の一つであるアルン川の支谷で、谷に沿って南から湿った空気が流れ込むため降水量が多い地域であった。

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1991(平成 3)年 4 月 3 日、チョモランマ東面のカルタ川でキャラバン中、ポーターから地名を聞き取る小疇班長(撮影:下川和夫氏)

 この調査ポイントは氷河末端のモレーン(氷堆積)と、それに続く段丘を調べると過去の氷河の変動が推測できた。そこで調査エリアは 3 ヶ所に絞り、調査班は精力的に活動した。 1 つはカンシュン氷河末端から 4 ㎞下流で、北側から合流する支谷のモレーン外側にある標高4250mのロプカ周辺の氷河地形、 2 ヶ所目はカルタチュー(カルタ川)沿いの氷河地形、 3 ヶ所目はプンチュー(アルン川)沿いの氷河地形を調査した。

 その結果、チョモランマ東面の氷河形成では、新しい方からガルブ期、パタン期、ロプカ期、カルタ期で、この 4 群モレーンで示される氷河の進出期が分かった。そのうちパタン期は低位段丘に、ロプカ期は中位段丘に続いていた。この 4 群のモレーンの位置関係と規模は、東崑崙山脈の 4 群モレーン(新期、本頭山期、西大灘期、先西大灘期)と良く対応していることも判明した。こうしてチベット高原や中央アジアの氷河形成を解明する貴重な手掛かりを掴んで、学術班の調査は終わる。

参考文献
  • 学術班編『チョモランマ・カンシュン谷周辺の地形』(1993年 11月発行)
  • 『炉辺』第 9 号(1996年11月発行)岡澤修一「チョモランマ東面の氷河地形」
  • 『明治大学山岳部80年誌』(2002年 6 月発行)岡澤修一「チョモランマ峰(カンシュン・リッジ)遠征隊・学術班(1991年)」
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