歴代山岳部長– category –
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歴代山岳部長
第15代山岳部長 加藤 彰彦: 現役部長として新たなMACを構築中
加藤彰彦先生の肖像 - 高校山岳部で鍛えた山男部長 - 高校(都立西高校)時代に山三昧の高校生活を送った加藤彰彦(かとう あきひこ)先生が、第15代の山岳部長に就任する。加藤先生は早稲田大学、同大学院を卒業され、3年ほど銀行に務めた後、本学政治... -
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第14代山岳部長 飯田年穂: 本場アルプスで登山を実践するクライマー教授
フランス文化に造詣が深く、海外山岳書をはじめフランス書籍の翻訳、また、自らも執筆する飯田年穂(いいだ としほ)先生が山岳部長に就く。飯田部長は1948(昭和23年)東京生まれで、戦後生まれの先生が初めて山岳部長に就いた。飯田先生は1971(昭和... -
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第13代山岳部長 小疇 尚: 四半世紀にわたりご指導いただいた、氷河地形研究のプロ
小疇先生の肖像 山岳部長に昭和生まれ、46歳という若い先生を迎えた。なおかつ専門は地理学で、高山や寒冷地を研究し、山にも積極的に登る小疇尚(こあぜ たかし)先生である。 こうした極地や高山など幅広く研究する先生が、学内の文学部にいること... -
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困難を乗り越えた明大山岳部の再建|木村礎先生が示した3つの約束「遭難しない、退部しない、卒業する」
木村礎先生の肖像。画像出典: 明治大学デジタルアーカイブ 木村礎(きむら もとい)先生は学園紛争の嵐が吹き荒れる1970(昭和45年)4月、前任の渡辺操先生が亡くなられて1ヶ月のち、山岳部長に就いた。このとき先生は、大学改革の準備委員会委員長とし... -
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第11代山岳部長 渡辺操 : 三度の遭難、二度の海外遠征と、苦楽をともにした部長人生
戦後初めての小島憲部長以来、久しぶりに母校の先輩が山岳部長に就く。前任の三潴信吾先生が急遽、明大を去ることになり、明大出身の専任教授である渡辺操(わたなべ みさお)先生が1957(昭和32年)3月に就任する。渡辺先生が山岳部長に就くやいなや山... -
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自然に帰れ|明大山岳部を導いた孤高の第10代山岳部長 三潴信吾の哲学
- “人の和”を説き、正義感に富んだ孤高の先生 - 1953(昭和28年)4月、第10代の山岳部長として三潴信吾(みつま しんご)教授が就任する。三潴先生は1937(同12)年に東京高等学校を卒業したのち、1941(同16年)3月に東京帝国大学法学部を卒業、4月よ... -
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『伝統は尊い、伝統を継ぐものはなお尊い』明大山岳部と泉靖一の歩んだ道
泉 靖一の肖像。画像出典:読売新聞オンライン – 大学山岳部出身の先生が、縁あって山岳部長に着任- 戦後復興が動き出した1949(昭和24)年、大学山岳部出身の部長先生が、明大山岳部に初めて着任した。泉靖一(いずみ せいいち)先生は小学生のとき、父... -
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『気持ちで負けるな』: 第8代山岳部部長 小島憲が語る戦後山岳部再建の秘話
小島憲の肖像。画像出典:明治大学デジタルアーカイブ - 焼け野原から再起する部員を「気持ちで負けるな」とエール- 戦時下の小島憲(こじま けん)先生は、勤労動員部長として奔走していた。そのとき勤労動員に通っていた大塚博美と広羽清の2人は、石川... -
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9年間の献身:第7代山岳部長 末光績が明治大学山岳部に残した功績
末光績の写真。画像出典:愛媛の伝承文化 - 部員から名誉リーダー章を贈られた「名誉部長」- 1934(昭和9)年5月、第7代目の山岳部長として末光績(すえみつ つむぐ)先生が就任する。戦前において9年間という、最も長く在任した部長である。 先生は1924... -
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太田直重先生、山岳部長就任とその背景 ~ 異色の理数科教授 ~
– 山岳部長では異色の理数科教授 – 山岳部には珍しい理数系出身の部長が就任する。その人は太田直重(おおた なおしげ)先生である。予科では神宮徳壽先生の6歳年下の後輩に当たる。太田先生は部長に就任する1年前の1932(昭和7)年7月31日、神宮徳壽先生...
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