登山以外の活動史– category –
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登山以外の活動史
赤星 昌(昭和7年卒)- 屋久島の自然保護を訴えた熱血漢
赤星昌は1904(明治37)年鹿児島市に生まれた。明大商学部に入学し、昭和の初め、発展期を迎える山岳部に籍を置いた。山岳部での渾名は「ダルさん」。戦後の1947(昭和22)年、彼は鹿児島県山岳連盟の創立に関わる。理事長を経て連盟会長を23年間務め、... -
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明治大学山岳部&炉辺会 – 登山以外の活動史まとめ
それぞれの想いや期待に胸ふくらませ明治大学山岳部に入部した学生は、この100年で400人を超える。自ら鍛え上げるため、また登攀技術を磨くため厳しい自然の中で、山の頂をめざし登山に専念する一方、山の奥深さに魅了され、さまざまな分野に足跡を残し... -
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関 裕一(平成11年卒)- 山岳部での経験を山岳映像撮影に活かす
学生時代にガングスタン(6162m)、マナスル(8163m)と二度の海外遠征に参加、いずれもファイナル・ピークに立った関は、卒業すると日本放送協会(NHK)に入局し、カメラマンとして番組制作業務に従事する。 ロケデスクを担当していた2016(平成28... -
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廣瀬 学(平成2年卒)- 世界最高峰からハイビジョン撮影に成功
海外の山々を駆け巡ってきた廣瀬学は、1992(平成4)年春、日本放送協会(NHK)に入局する。長い学生生活を終えて社会人となった彼は、最初の赴任地が札幌放送局となり、初めての仕事に戸惑いながらも、ディレクター生活をスタートさせた。 1996(同8... -
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赤松威善(昭和35年卒)- 山岳映像撮影で奮闘した名カメラマン
テレビが家庭に普及するまで、「映画」は一般庶民の娯楽の中心であった。学生時代から映画に興味があった赤松威善は、映画製作に携わることを夢見ていた。 映画のカメラマンを目指した彼は、劇場映画から記録映像のカメラマンに転向する。 初めはドキ... -
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中尾正武(昭和28年卒)- テレビ草創期に山岳および南極の番組制作
日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)が1959(昭和34)年 2 月に開局した。夏休みは教育番組が休みとなるため、上層部から大塚博美(昭和23年卒)と中尾に、「山の企画でも考えろ」というありがたい話があった。2人はまず先発局(NHK、NTV、TBS)がま... -
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竹内重雄(昭和8年卒)- 大正時代の風俗画を遺した異色の山岳部OB
大正時代の東京・品川界隈の風景や風俗を水彩画で描き続けた郷土画家で、画文集も出している異色の山岳部OBがいる。1933(昭和8)年、商学部を卒業した竹内重雄である。 1910(明治43)年、東京府下荏原郡大井町南濱川町(現・東大井2丁目)で生まれた... -
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根深 誠(昭和45年卒)- 白神山地の自然保護に捧げた半生
青森県立弘前高校3年生のとき、根深誠は1965(昭和40)年8月13日から、仲間2人と白神山地の横断に挑んだ。当時、「白神山地」という山地名はなく、その中心部はマタギ以外、地元の人も入らない秘境であった。3人は地図だけを頼りに西目屋村川原平集落か... -
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小久保 裕介(平成18年卒)- 山岳部での経験が結実した氷河研究
小久保裕介は大学院に進み、研究テーマとして氷河地形の調査に打ち込んだ。国内での氷河地形の研究は、古くから北アルプスが対象であった。先輩の岡澤修一が南アルプス南部の赤石岳周辺に着目してから、南アルプスが一挙に注目されるエリアとなる。そこ... -
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谷山宏典(平成13年卒)- 8000m峰サミッターからライターへ転進
愛知県立時習館高校を卒業した谷山宏典は、文学部史学地理学科に入学し、新天地での大学生活に胸躍らせた。高校時代も山岳部に所属していた彼は、「冬山に登ってみたい」という単純な動機で山岳部の扉を叩いた。 入部した1997(平成9)年は、MACと炉辺...
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