遭難史– category –
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遭難史
山岳遭難防止に取り組んだ「遭難実態調査」- 明治大学山岳部遭難対策委員会
我が山岳部の教えに――「食器が汚いと遭難する」という教訓がある。一見山と無関係な言葉のようにも聞こえるが、基本的な行為や小さなことを疎かにしたり、いい加減に扱うと「遭難が起きるぞ」という戒めを指している。すなわち、「ウェアのポケットはち... -
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故 加藤 慶信(平成6 ~ 12年在部)
遭難情報 遭難発生日2008(平成20)年10月1日遠征計画日本クーラ・カンリ登山隊2008:未踏の北稜ルートからクーラ・カンリ(7538m)初登頂を目指し、東峰(7381m)、中央峰(7418m)を経て主峰へ3山初縦走遭難場所クーラ・カンリの支尾根6000m付近(雪... -
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故 大西 宏(昭和57 ~ 61年在部)
遭難情報 遭難発生日1991(平成3)年10月16日遠征計画日中合同登山隊:未踏峰ナムチャバルワ(7782m)の初登頂遭難場所ナムチャバルワのプラトー上部、6200m付近(雪崩による埋没死)遠征メンバー〈日本隊〉隊長:重廣恒夫登攀隊長:高見和成隊員:木本... -
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故 植村 直己(昭和35~39年在部)
基本情報 遭難発生日1984(昭和59)年 2 月13日(推定)登山計画デナリ(旧名マッキンリー、6190m)冬期単独初登頂遭難場所デナリ・パス付近(推測、行方不明) 遭難概要 植村は2月1日から登山を開始し、彼が書き留めた日記は6日で終わり、7日以降の足... -
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故 松本 明(昭和54年入部)
基本情報 遭難発生日1979(昭和54)年 7 月 30 日山行計画夏山合宿遭難場所南アルプス・笊ヶ岳の猿公平山行メンバー本隊CL=中西紀夫(昭和51年入部 4 年)、SL=吉田湖丘夫(同52年入部 3 年)部員=横掘正基(同51年入部 3 年)、倉津静子(同52年入部 3... -
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故 近藤 芳春(昭和38 ~ 42年在部)
基本情報 遭難発生日1977(昭和52)年 5 月 13 日遠征計画未踏の東壁からヒマルチュリ(7893m)登頂遭難場所ヒマルチュリ東壁のJACルート(雪庇崩壊の氷塊が頭部直撃)遠征メンバー(「海外登山史」参照) 遭難概要 「明治大学ヒマルチュリ登山隊」は19... -
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故 石島 修一(昭和43年入部)
基本情報 遭難発生日1971(昭和46)年 9 月 26 日山行計画第 2 次夏山合宿(上級生強化、穂高岳・涸沢定着)遭難場所北穂高岳・滝谷第 4 尾根(墜落死)山行メンバーCL=石島修一( 4 年)、部員=河野照行(昭和44年入部 3 年)、佐々木洋一(同44年入部 ... -
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故 矢沢 剛(昭和34年入部)
基本情報 遭難発生日1959(昭和34)年 12 月 24 日山行計画冬山・剱岳合宿(新人は高所幕営と稜線歩行、上級生は登攀技術強化)遭難場所立山・雷鳥沢 雷鳥荘東側テントサイト(雪崩による埋没死)山行メンバーCL=田村宏明(昭和31年入部 4 年)、SL=赤松... -
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故 右川 俊雄(昭和34年入部)
基本情報 項目内容死亡日1959(昭和34)年 8 月 13 日山行計画夏山・南アルプス合宿(全山縦走)山行メンバー前半縦走A班(甘利山~鳳凰三山~白根三山~塩見岳~三伏峠)CL=田村宏明(昭和31年入部 4 年)、SL=三室喜義(同32年入部 3 年)、鈴木伊和雄... -
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白馬鑓ヶ岳・二重遭難
故 五十嵐 弘(昭和27~31年在部)、故 荒井 賢太郎(昭和29年入部)、故 佐藤 潔和(昭和30年入部) 基本情報 遭難発生日1957(昭和32)年 3 月 12 日山行計画昭和31年度春山:杓子尾根合宿新人隊は鑓ヶ岳から唐松岳の稜線登高上級生隊は鑓ヶ岳北稜と南稜...
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