活動期間 | 春隊=2003(平成15)年 4 月 〜 5 月 夏隊=2003(平成15)年 7 月 〜 8 月 |
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目的 | 春隊=アンナプルナ山域で地形と氷河の調査。 夏隊=アンナプルナ周辺地域の地形、植生、気候、集落、農業、観光業など地域社会の変貌調査。 |
調査団の構成 | 春隊=隊長:小疇尚(山岳部部長・文学部教授) 隊員:横山秀司( 九州産業大学教授)、下川和夫 (札幌大学教授)、赤坂暢穂(中京大学教授)以上4名 夏隊=隊長:岡澤修一(昭和47年卒、千葉英和高等学校教諭)隊長代行:津田知之(千葉英和高等学校教諭) 隊員:山崎憲治(都立富士高等学校教諭)、生井貞行 (都立南多摩高等学校教諭)、須合常隆(多摩大学目黒高等学校教諭)、樋口雅夫(明治大学大学院生)、樋口百合 以上 7 名 |
解説
春隊
登山隊とともに出発した春隊は、ベースキャンプ(BC)に入る。このBCは 1 万年前のころの最終氷河末に形成されたラテラル・モレーン(氷河の両側にできた側堆石)と、U字谷の岩壁との間にあるアブレージョン・ヴァレー(でこぼこの谷)の小平地にあった。
BC付近のラテラル・モレーンを調べると、リッジと氷河の表面まで100m以上の高低差があり、しかもモレーン(氷堆積)の下半分が切り立って色も新鮮で、氷河は最近になって数十mの厚さで減少したことが分かった。
また、BCと第 1 キャンプの間で 3 つの支氷河がアイスフォールを造って合流するサウス・アンナプルナ氷河は、東側のロックノワールから氷河のアイスフォールが切れかかり、岩盤が広く露出していた。西側のファングからも一部岩盤が現れ、氷河の浸食が認められた。
この後、登山隊のBCを離れ、地形を観察しながらモディ・コーラの谷を下る。するとシヌワ上流の海抜約2100mの谷中に、高さ100m以上もある大きなモレーンを認め、かつてサウス・アンナプルナ氷河はここまで流れ下り、ドバンやバンブーのモレーンは、本流の氷河によってもたらされたことが分かる。
チョムロンでモディ・コーラの谷を離れ、ゴラパニを経てタトパニに下り、カリ・ガンダキ谷をジョムソンまで遡る。この谷はダウラギリとアンナプルナの間のヒマラヤの主脈を断ち切る大峡谷である。
同じ主脈を貫くヤルンツァンポーの大屈曲部やアルン川の峡谷に比べて谷底は広かった。その理由はガーサで分かったが、ここがカリ・ガンダキ谷最下流のモレーンで、それが谷を塞いだため上流が埋め立てられ、谷底が広がったのだった。
ガーサのモレーンを越えると、眼前にさらに巨大なモレーンと山崩れの堆積地形が現れる。調べるとニルギリとダウラギリからの氷河がカリ・ガンダキ谷を埋め、合流して膨大なモレーンが築かれていた。これが谷を堰止めて上流に湖が形成され、厚い湖底堆積物と湖に突っ込んだ氷河の堆積物が溜ったようだ。氷河の著しい浸食現場を調査し、終了する。
夏隊
カリ・ガンダキ川に沿って遡ると対岸に大きな褶曲が見られ、ヒマラヤ山脈が褶曲で造られたことが良く分かった。
カグペニ(2800m)から支流の谷を登っていくと、段丘上の道沿いの裸地に凍結・融解による礫のふるい分けがあり、多角形土が見られた。
ラニポア(3700m)からジャルコット(3550 m)までの往復ルートは、U字谷の中の段丘化したグランド・モレーン上を道が通り、U字谷の谷壁に崖錐状の岩塊斜面が広がっていた。トロン峠(5416 m)に向けて登っていくと、4460m付近にアース・ハンモック状の小さな高まりが多くなり、礫が入っているのを確認する。
トロン峠を越えてトロンフェディ(4450m)へ向かうと、4700m付近にはモレーン群が分布し、モレーン群の所々に植生が着いていた。
最大の目的地ティリチョ湖に向け登り始める。4800m付近ではモレーンが下刻されて 2 つに分断されていた。ティチョリ湖に着くと、南西岸はモレーンではなく氷河がそのまま湖に流れ込み、同じ南西岸でも北の方のレイク・ウェスタンのキャンプサイト付近はモレーンであった。
イースタン峠(5340 m)を越え、5310m付近に来ると左手に岩屑斜面があり、モレーン上の平坦な所には多角形土、そして、斜面上には網状土、条線土と、傾斜によって様々な構造土が分布していた。
ティチョリ湖に別れを告げ、メソカント峠に向かう。峠までの間は岩塊斜面が広がり、マトリックス(基盤)は薄片化した基盤岩の礫で、一部、粒径の小さい岩屑斜面の所もあった。
この斜面上には条線土が発達し、平坦な所には多角形土が分布していた。メソカント峠を越えてカール壁を下りていく谷は 3 つのカールが合流し、ハイ・カルカ(4560 m)は隣の谷のグランド・モレーン上にあり、チャウリ・カルカ(4320m)まで下る。
最終日、ティニの手前3271m付近の露頭に極細砂〜中砂の砂層と握り拳大〜人頭大の亜円礫層の水平の互層があり、3150m付近まで下ると数㎝から人頭大の円礫層と極細砂、さらに中砂の砂層の水平互層となる。
これらを考えると、3300m付近まで水平な砂層が形成されるような環境、例えば湖のようなものがあったのではないか、と推測した。ジョムソンに戻り、夏隊の調査活動を終える。
- 「炉辺通信」143号(2004年 3 月発行)小疇尚「アンナプルナ Ⅰ峰登山隊 学術隊報告」