特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

故 加藤 慶信(平成6 ~ 12年在部)

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遭難情報

遭難発生日2008(平成20)年10月1日
遠征計画日本クーラ・カンリ登山隊2008:未踏の北稜ルートからクーラ・カンリ(7538m)初登頂を目指し、東峰(7381m)、中央峰(7418m)を経て主峰へ3山初縦走
遭難場所クーラ・カンリの支尾根6000m付近(雪崩による埋没死)
遠征メンバー隊長:高橋和弘(平成8年卒・34歳)
登攀隊長:加藤慶信(平成12年卒・32歳)
隊員:桜井孝憲(愛知学院大学OB・34歳)、有村哲史(早稲田大学OB・27歳)、三戸呂拓也(平成19年卒・23歳)、中村進(日本大学OB・カメラマン・62歳)
ドクター:志賀尚子
以上7名

遭難概要

 クーラ・カンリは、中国チベット自治区の南部に位置するヒマラヤの未踏峰で、ブータン国境近くのチベット高原に、神秘的な山容でそびえている。

 「日本クーラ・カンリ登山隊」は北壁から下る氷河を詰め、5900mから6675mのピーク(前衛峰)に突き上げる支尾根をたどって未踏の北稜に上がり、その後、縦走隊と北稜隊に分かれ、縦走隊は北壁側稜を東峰から上がり、その後、主稜線をたどって主峰へ縦走、そののち北稜隊と合流し下降する計画であった。

 9月20日にチベットのラサを出発、麓のザリ村に移動した。ここで高所順応を兼ね数日滞在した後、5350mのアドバンス・ベースキャンプ(ABC)に入る。このころの天候はモンスーンの雲に覆われる日々で、6500m付近に雲が懸かるようになる。それより下部は降雪があってもちらつく程度で、まとまっての積雪はなかった。こうした天候に恵まれ、予定どおり第1キャンプ(C1)を5900mに設営する。

 モンスーン明けとなる30日から、主峰北稜の第2キャンプ(C2:6550m)へ向けルート工作が始まる。この日、ルート工作隊の加藤登攀隊長、有村隊員、そして、撮影担当の中村カメラマンがC1に入る。翌10月1日、前衛峰(6675m)へ突き上げる尾根へルート工作を開始、加藤と有村隊員、撮影する中村隊員の3名は8時にC1を出発した。一方、この日、高橋隊長、桜井隊員、三戸呂の3名は、C1に入るため8時20分、ABCを出発する。

 C1を目指し登高を続けていた高橋パーティは13時、C1直下から上部を見上げると雪崩の跡を発見する。早速、工作隊の加藤に無線連絡を入れるが、連絡は取れなかった。C1に到着した高橋隊長は14時の定時交信を行ったが、やはり加藤との交信は通じなかった。雪崩の跡の上にトレースらしきライン(実際は単なる雪の筋だった)があったので、工作隊は先に進んでいるものと思い、しばらくC1で待機していた。

 17時の定時交信も通じず、また、ルート上に姿を確認できないことから、工作隊は雪崩に遭った可能性が高いと判断、高橋隊長と桜井隊員はC1から前衛峰に取り付き、捜索に向かう。18時50分ごろ、取付から100mほど登った雪面(標高約6000m)に埋まっている3名を発見、直ちに掘り起こしにかかったが、すでに加藤、有村隊員、中村隊員の3名は死亡していた。工作隊は午前11時過ぎ、前衛峰から派生する支尾根の下部6000m付近で、30~40度の斜面をルート工作中、足元もしくはやや上方から雪崩が起き、3名は雪崩に巻き込まれ下部斜面まで流されたものと、現場を見た高橋隊長は推測した。

 高橋隊長はすぐBCへ緊急の連絡を行った後、C1で待機している三戸呂に無線連絡し、現場まで登って来るよう指示した。雪崩の第2波、第3波も予想されるので、三戸呂到着後、安全な場所に3人の遺体を移動し、遺品の回収を行った。暗闇が覆う20時40分に作業を終了、21時20分に高橋隊長、桜井隊員、三戸呂の3名はC1に帰幕した。

 翌10月2日、BCから上がって来た中国連絡官や民工たちと一緒に、遺体をABCに搬送する。併せてC1の撤収を行い、装備品などの荷下げを行う。5日には高橋隊長と志賀ドクターが付き添い、3名の遺体を馬でザリ村に搬送、翌6日早朝、ラサに遺体を運んだ。

 加藤慶信は、恋焦がれた山で白いベールに包まれ、永遠の眠りについてしまった。彼は誰からも愛される山男で、炉辺会のホープとして、また、日本を代表するトップクライマーとして、希望の星だった。“男気(おとこぎ)”が似合う山男は、天上の稜線を今でも悠然と闊歩しているのだろうか。

 これまでも、これからも、山には多くの危険が存在し、自然の猛威はいささかも変わっていない。登山活動を続ける限り、遭難事故に遭わないという保証はどこにもない。だからと言って“遭難”は、山岳部の“宿命”などと言って見過ごすことは絶対にできない。改めて「遭難を起こさない」という不文律を、私たちの心の中に深く刻み込まなければならない。それが山に逝った岳友たちへの誓いであり、私たちの責務である。

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