明治大学山岳部と炉辺会の歩みを振り返るとき、「山岳遭難」を避けては語れない。これまで国内の山で12名、海外の山で 4 名もの尊い生命が失われた。あのときの遭難から、あのときの捜索から、歳月は容赦なく過ぎ去ってしまった。どんなに悲しく、つらい遭難も、人間の記憶から徐々に薄れていく。まして直接経験していない人が、伝聞による記憶を保ち続けることは至難の業である。
それでも私たちは、遭難の教訓を後世に伝え続けなければならないという責務がある。だからこそ、これまでの遭難に真摯に向き合い、改めて襟を正さなければならない。そうしなければ、山を語る資格もない。ここに山岳部自らの戒めとして、山に抱かれて眠る岳友たちを偲びつつ、これまでの遭難の歴史を綴る。
目次
遭難史
故 針ヶ谷 宗次(昭和 5 年入部)
- 遭難発生日: 1934(昭和 9 )年 8 月11日
- 山行計画: 夏山山行後の穂高・涸沢上級生山行
- 遭難場所: 北アルプス・横尾本谷に架かる丸木橋(転落、水死)
故 人見 卯八郎(昭和10年入部)
- 遭難発生日: 1938(昭和13)年 9 月24日
- 山行計画: 谷川岳・マチガ沢での岩登り山行
- 遭難場所: 谷川岳・マチガ沢本谷(墜落死)
故 飯田 貞夫(昭和22年入部)
- 遭難発生日: 1952(昭和27)年 3 月12日(推定)
- 山行計画: 昭和26年度春山合宿:早月尾根から極地法で剱岳にアタックし、高所幕営を行いながら八ツ峰など剱岳周辺の登攀
- 遭難場所: 剱岳・早月尾根の松尾平(疲労凍死)
白馬鑓ヶ岳・二重遭難
故 五十嵐 弘(昭和27 ~ 31年在部)
故 荒井 賢太郎(昭和29年入部)
故 佐藤 潔和(昭和30年入部)
- 遭難発生日: 1957(昭和32)年 3 月12日
- 山行計画: 昭和31年度春山:杓子尾根合宿
- 新人隊は鑓ヶ岳から唐松岳の稜線登高
- 上級生隊は鑓ヶ岳北稜と南稜登攀
- その後、合同で白馬岳正面尾根へ挑戦
- 山行期間: 1957(昭和32)年 2 月25日 ~ 3 月25日(予備日10日含む)
- 遭難場所: 白馬岳・杓子沢(佐藤潔和氏以外は雪崩による埋没死)
故 右川 俊雄(昭和34年入部)
- 死亡日: 1959(昭和34)年 8 月13日
- 山行計画: 夏山・南アルプス合宿(全山縦走)
- 死亡原因: 急性腎臓炎(病院で死亡)
故 矢沢 剛(昭和34年入部)
- 遭難発生日: 1959(昭和34)年12月24日
- 山行計画: 冬山・剱岳合宿
- 新人は高所幕営と稜線歩行
- 上級生は登攀技術強化
- 遭難場所: 立山・雷鳥沢 雷鳥荘東側テントサイト(雪崩による埋没死)
故 石島 修一(昭和43年入部)
- 遭難発生日: 1971(昭和46)年 9 月26日
- 山行計画: 第2次夏山合宿(上級生強化、穂高岳・涸沢定着)
- 遭難場所: 北穂高岳・滝谷第4尾根(墜落死)
故 梶川 清(昭和45年入部)
- 遭難発生日: 1972(昭和47)年 8 月2日
- 山行計画: 夏山合宿A隊(不帰東面~黒部川・上廊下)
- 遭難場所: 不帰Ⅰ峰・Ⅱ峰間ルンゼの雪渓上部(滑落死)
故 近藤 芳春(昭和38 ~ 42年在部)
- 遭難発生日: 1977(昭和52)年 5 月13日
- 遠征計画: 未踏の東壁からヒマルチュリ(7893m)登頂
- 遭難場所: ヒマルチュリ東壁のJACルート(雪庇崩壊の氷塊が頭部直撃)
故 松本 明(昭和54年入部)
- 遭難発生日: 1979(昭和54)年 7 月30日
- 山行計画: 夏山合宿
故 植村 直己(昭和35 ~ 39年在部)
- 遭難発生日: 1984(昭和59)年 2 月13日(推定)
- 登山計画: デナリ(旧名マッキンリー、6190m)冬期単独初登頂
- 遭難場所: デナリ・パス付近(推測、行方不明)
故 大西 宏(昭和57 ~ 61年在部)
- 遭難発生日: 1991(平成3)年10月16日
- 遠征計画: 日中合同登山隊:未踏峰ナムチャバルワ(7782m)の初登頂
- 遭難場所: ナムチャバルワのプラトー上部、6200m付近(雪崩による埋没死)
故 染矢 浄志(平成元年入部)
- 遭難発生日: 1991(平成3)年12月28日
- 山行計画: 冬山決算合宿:北東稜および東稜から厳冬期利尻山登頂
- 遭難場所: 利尻山・東稜上1510m、三角岩峰付近(転落埋没死)
故 加藤 慶信(平成6 ~ 12年在部)
- 遭難発生日: 2008(平成20)年10月1日
- 遠征計画: 日本クーラ・カンリ登山隊2008
- 未踏の北稜ルートからクーラ・カンリ(7538m)初登頂を目指す
- 東峰(7381m)、中央峰(7418m)を経て主峰へ至る3山初縦走
- 遭難場所: クーラ・カンリの支尾根6000m付近(雪崩による埋没死)
あとがき
これまでも、これからも、山には多くの危険が存在し、自然の猛威はいささかも変わっていない。登山活動を続ける限り、遭難事故に遭わないという保証はどこにもない。だからと言って“遭難”は、山岳部の“宿命”などと言って見過ごすことは絶対にできない。改めて「遭難を起こさない」という不文律を、私たちの心の中に深く刻み込まなければならない。それが山に逝った岳友たちへの誓いであり、私たちの責務である。
山岳遭難防止に取り組んだ「遭難実態調査」- 明治大学山岳部遭難対策委員会
我が山岳部の教えに――「食器が汚いと遭難する」という教訓がある。一見山と無関係な言葉のようにも聞こえるが、基本的な行為や小さなことを疎かにしたり、いい加減に…