特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

栂海新道から白馬岳登頂 – 平成11年度春山合宿

 1999(平成11)年度の主将となった天野和明は、登山の原点である未知なる領域の開拓と、チーム全員が一丸となって挑戦する積雪期縦走の二本柱を目標にした。天野たちリーダー陣は、あくまで  “未知なる山域での全員縦走”  にこだわり、ルートはこれまで踏破したことがない栂池新道とした。

 栂池新道は日本海の海抜ゼロmから白鳥山(1286m)、犬ヶ岳(1593m)を経て朝日岳(2418m)を結ぶ北アルプス最北部の縦走路である。99年度の春山合宿は、この栂池新道をたどって朝日岳に向かい、最終ピークの白馬岳(2932m)を目指す標高差2932m、総水平距離41㎞に及ぶ積雪期大縦走となった。

 天野は、新人を連れての縦走となることから安全を最優先にした。前年の 10月31日から11月 4 日まで、上級生の天野、石田、早坂の 3 名で偵察を行い、併せてルート上にある雪倉岳避難小屋に、非常用として30人分の食糧と燃料をデポした。この縦走路ではエスケープ・ルートが容易に得られないこと、加えて悪天候によって閉じ込められた場合を想定し、最悪のリスク回避を考えての準備だった。

9名の学生とOB 1 名のMACパーティは、冬の荒波が押し寄せる日本海に向かった。

目次

登山概要

登山期間2000(平成12)年2月22日~3月5日〈実動10日、停滞3日、計13日間〉
メンバーCL=天野和明( 4 年)、SL=石田佳岳( 4 年)、早坂史郎( 3
年)、谷山宏典( 3 年)、 1 年=松本浩、佐々木拓麿、川上健一、豊岡一仁、永田明 
以上 9 名 
OB=田中隆教(平成11年卒)

行動概要

ここに積雪期縦走の記録を合宿報告書から抜粋する――。

2月22日 雪時々吹雪
 親不知の絶壁には北の荒波が打ちつけていた。取り付きから足首のラッセル。はっきりしないピークの入道山から杉尻高山への登りは、日本海の湿り雪のラッセルとなる。山頂からしばらく進むが吹雪が強まり、時間が遅くなってきたため尾根上で幕営する。
〈CT〉糸魚川駅(5:50~6:20)~取付(7:00~7:15)~海岸(7:20~7:30)~取付(7:40)~P416(9:50~10:20)~入道山(11:00)~林道(11:50~12:00)~尻高山(14:20~14:35)~TS(15:15)

2月23日 曇後晴
 しばらくは昨日つけておいたトレースを辿って行き、稜線を外れて坂田峠へ向け下る。金時坂の急登も空身でラッセルし高度を上げていく。白鳥山までの稜線は高度のわりに顕著な雪庇が出ていた。日本海の展望が素晴らしい。夜、雪の予報が出ていたため避雷針のある立派な小屋の脇の吹き溜まりに幕営。
〈CT〉TS(7:05)~分岐点(7:15)~坂田峠(8:10~8:30)~シキ割(11:30)~白鳥山(15:30)

2月24日 吹雪
 クラストした斜面の上に新雪が乗っており、念のためにアンザイレンする。稜線上は新潟県側に大きな雪庇が発達し、富山県側を慎重にトラバースしていく。降雪量は20~30センチ、深い所では胸までのラッセルでペースは上がらない。ようやくP1241メートルに着くが、広い頂上で風雪とホワイトアウトによりルートが見つからない。6メートルほど横を雪庇の崩壊による表層雪崩が落ちていったため引き返し、頂上から少し戻ってP1241メートル手前のコルを削って幕営した。
〈CT〉TS(7:10)~最低コル(10:00)~P1241m(12:40)~P1241m手前のコルTS(12:45)

2月25日 吹雪後晴
 朝、吹雪が激しく天気待ちとする。ラッセルしてP1241メートルへ向かう。ここから地形図通りに東南東へ下るが、斜面に新雪が積もっていたため弱層テストを実施し、ワンアットで170メートルほど下る。ルート偵察隊が正規のルートでないことを確認し登り返す。今度は少し西寄りに下るが、ガレていて再び違う。最終的にクライムダウンで正しい尾根上に降りるが、60度ほどの雪壁が続きいやらしい。途中でガスが切れ、青空が出てきたが、この時10:30。テントに戻り出発するか迷った末、停滞とする。
〈CT〉TS(7:10)~P1241m(7:25)~コル手前(10:30)~TS(11:10)

2月26日 晴後雪
 朝からアンザイレンし、視界が良いためP1241メートルからクライムダウンで進む。樹林帯のトラバースは良いペースで進み、黄蓮山手前のP1291メートルへの登りは急な雪壁状で、最後は雪庇を乗り越える感じの箇所があり緊張する。栂海山荘下は岩が出ており東側から巻いて尾根に戻る。山荘は屋根の一部だけが出ており、ほぼ埋もれていた。犬ヶ岳を少し越えた所でガスが湧き、雪も降ってきたため引き返し、山荘上の斜面を削って幕営した。
〈CT〉TS(6:40)~菊石山(9:30)~黄蓮山(11:20~11:40)~P1384m(12:30)~栂海山荘(14:30)~犬ヶ岳(14:45)~引き返し(15:10)~栂海山荘TS(15:35)

2月27日 吹雪
 昨夜から再び猛吹雪。晴天は長続きせず、風を遮るものがないため強風に晒される。9時10分の天気図で低気圧4つに囲まれていることが分かり、停滞を決定。

2月28日 曇後吹雪
 アイゼンにアンザイレンして犬ヶ岳のピークを越える。核心部の一つである犬ヶ岳先の細い稜線では、尾根が巨大な雪庇により広くなり、その根元に亀裂が入っており緊張感が漂う。北又のコルに下りて進むが、ガスが濃くなり視界がなくなる。P1548メートルの登りでルートが分からなくなり、天野・佐々木パーティーが空荷で先行し、富山県側から巻いて稜上に戻るルートを確認する。

 その後、早坂パーティーがトップでトレースを付けに行くが、ホワイトアウトで雪庇に近づきすぎ、早坂が踏み抜いて滑落。ザイル・パートナーの豊岡が稜上に残り、戻ってきた田中隆教OBと谷山パーティーが救助に当たる。幸い早坂は無事で、全員で北又のコルに戻り、少し先の斜面を削って幕営した。
〈CT〉TS(6:55)~犬ヶ岳(7:05)~北又のコル(8:30)~事故発生(9:30)~TS(11:30)

2月29日 暴風雪
停滞。

3月1日 吹雪後曇後快晴
 アイゼンを付けアンザイレンし慎重にトラバースを進む。途中、1年生1名が滑落するが軽傷で済む。サワガニ山を過ぎ、P1612メートル、P1606メートルを越え、文子の池は雪に埋もれ見えない。黒岩平でワカンを装着し、地図とコンパスを頼りに進むがガスで視界がなく現在地を見失う。

 その後、ガスが風に飛ばされ快晴となり、正しいルートにいることを確認。一気にペースを上げ、アヤメ平に到達。長栂山は登らず、全員の疲労を考慮してここで幕営。
〈CT〉TS(6:28)~サワガニ山(8:30)~P1612m(9:50)~黒岩平1900m地点(14:15~14:30)~アヤメ平TS(15:30)

3月2日 曇後快晴
 アイゼンとワカンを装着し、アンザイレンで長栂山への斜面を登る。風が強く冷たいが、良いペースで進む。長栂山を越え、照葉の池付近の雪原に入るが視界が悪く進路が分かりにくい。しかし、再び晴れ間が広がり周囲の景色が一気に見渡せるようになる。

 朝日岳への登りは夏道が露出しており、わずかな雪面にアイゼンを利かせて進む。朝日岳の山頂からは、目指す白馬岳が初めて姿を現し、剱岳や雪倉岳の雄大な眺めも広がる。山頂で写真を撮影後、雪崩に注意しながら急な下りを一気に400メートル下る。

 時間的には雪倉岳への登りに取り掛かれる状況だったが、600メートルの急登を越えるには皆の体力が限界に近かったため、赤男山北斜面で幕営することにした。谷山と早坂が翌日に備えて偵察に出る。
〈CT〉TS(6:25)~長栂山(7:30)~照葉の池付近(8:00~8:15)~朝日岳(9:50~9:55)~朝日岳の南東のコル(10:35~10:55)~赤男山北TS(11:35)~偵察隊出発(12:10)~赤男山(13:00)~偵察隊帰幕(14:00)

3月3日 快晴
 今日も快晴で春山の様相。赤男山への登りは樹林帯の中に急な雪壁状の箇所があり、慎重に進む。赤男山からの降り口で、雪倉岳北面のトラバースが見える。石田がワンアットでルートを確認し、各パーティーがザイルを伸ばして一気に400メートルの雪原を通過。雪倉岳への登りは長く、2170メートル地点から夏道沿いに進む。

 雪倉岳山頂では強風に晒されたが、早めに避難小屋に到着し、デポ缶2つを確認。その後、時間に余裕があったため鉢ヶ岳を越え、下りの岩場は西側から巻きガレを下る。三国境までの稜線で幕営できそうな場所を確認し、2650メートルの広い台地で幕営する。
〈CT〉TS(5:55)~赤男山(6:40)~雪倉岳北のコル(7:10~7:30)~トラバース終了点(7:50~8:00)~雪倉岳(9:50~10:20)~雪倉岳避難小屋(10:40~10:45)~鉢ヶ岳(11:20)~鉢ヶ岳先のコル(11:50~12:00)~三国境下2650m地点TS(12:40)

3月4日 晴後曇後吹雪後雪
 アイゼンとアンザイレンで出発。三国境を越え、ついに白馬岳2932メートルの頂上に到達。到着直後に吹雪となり、急いで下山を開始する。小蓮華山を越え白馬大池に到着。雪に埋もれた池の上を歩き、白馬乗鞍岳の下りに挑む。ビーコンの確認と弱層テストを実施後、締まった雪を慎重に下る。

 天狗原の祠まで降り、栂池自然園へと向かう途中、横浜国大の山岳部と遭遇。自然園に到着後、4年生の希望で現役最後の夜を迎えるために幕営する。
〈CT〉TS(5:45)~三国境(6:00)~白馬岳(7:00~7:20)~三国境(7:40)~小蓮華山(8:55~9:00)~白馬大池(10:10~10:30)~白馬乗鞍岳下り(11:55~12:05)~天狗原の祠(12:40)~栂池自然園TS(13:15)

3月5日 快晴後曇
 予想に反して快晴。ワカンを履き、1年生をトップにして快調に下山を開始。途中で1本休憩を挟み、ゴンドラ・リフト乗り場へ向かうラスト・ウォーク。早朝の静かなスキー場に到着し、1999年度の決算合宿を無事終了した。
〈CT〉TS(6:30)~栂池ゴンドラ・リフト(7:55)

あとがき

 親不知の海岸から出発した一行は、前半は吹雪との闘いとなる。日本海側特有の湿って重い雪のため、胸までのラッセルと視界の利かない悪天候で、ルートを探すのに四苦八苦の連続となる。ときにはホワイトアウトで足下しか見えず、雪庇を踏み抜いて転落するアクシデントも起きた。

 実動 9 日目の3 月 1 日、黒岩平の平坦地に入ったときは、その先のルートが全く見つからず、地図とコンパスを頼りに進むという登山の原点を味わう。 3 月 2 日以降になるとようやく天候も安定し、順調に進むことができた。

 しかし、MACにとって未知の山域での積雪期合宿で、多難を極める縦走となった。天野主将は、計画通り実動13日間という早いスピードで完遂できた、と前置きし、「全員そろって白馬岳に登頂することができたとは言え、事故が 3 件(滑落 2 件と凍傷)も起き、そのどれもが重大なものであり、たまたま良い方向に転んだにしかすぎない今合宿は、完全な失敗であった」と厳しく総括した。最終目的地に達したことだけに目を奪われず、失敗した課題にこそ目を向けなければならない、と引き締めた。

この99年度の春山合宿は、気象条件の厳しい 2 月から 3 月にかけ、世界有数の豪雪地帯である新潟、富山、長野の 3 県にまたがって縦走、なおかつ MACにとって16年ぶり、通算でも 2 回目の積雪期全員縦走を果たした。この海抜ゼロmからスタートしての縦走完遂は、MACにとって来る21世紀の幕明けにふさわしい画期的な合宿となった。

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