特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

北尾根から前穂高岳(1983) – 昭和58年度冬山合宿

 上田哲也が1983(昭和58)年度の主将になると、MACの “力強さ” を取り戻すべく、年度方針「登山活力の向上」を目標に部活動に入った。彼は年度目標を達成するため、穂高連峰にある厳しい岩稜の北尾根から前穂高岳登頂を決算合宿とした。そこで上田主将は技術、体力、精神力の強化を図りながら、各部員の意識高揚を促した。

 ところが、入部当初10名を数えた新入部員は、上級生の退部問題など部内の不統一が影響し、積雪期を控えた矢先 4 名に減ってしまった。それでも上田は初志貫徹と、決算合宿を目標に穂高周辺で 9 月合宿を実施する。すると9月合宿を境に部内の雰囲気は一転、決算合宿へ盛り上がりを見せるようになる。結果、決算合宿に参加する新人は 2 名に減ってしまったが、主将の上田は部に自信を取り戻させるべく、冬山合宿へと向かった。

目次

登山概要

登山期間1983(昭和58)年12月15日~1984(昭和59)年1月4日〈実動20日、停滞1日、計21日間〉
メンバーCL=上田哲也( 4 年)、SL=松尾英之( 3 年)、大西宏( 2 年)、
山本篤( 2 年)、山本政己( 2 年)、竹村政哉( 1 年)、浅川一
朗( 1 年) 以上 7 名

行動概要

 以下、『炉辺』第 9 号(平成 8 年11月発行)の「昭和58年度冬山合宿報告」より抜粋する――。12月15日、徳沢にベースハウス(BH)を設営、途中、リレーキャンプ(RC)を設け、 8 峰のベースキャンプ(BC)建設に向けルート確保と荷揚げを19日まで行った。

12月20日 雪後晴
〈本隊〉
 朝、ヘッドランプをつけ出発する。樹林を抜けた所で強風となり、地吹雪となる。BCにデポした後、RCのテントを撤収しBC予定地へ向かい、BCを設営。

〈AC偵察隊〉(松尾・山本篤)
 無風快晴の中をラッセルして進み、7峰まで24m 1本、44m 2本フィックスを張る。小ダヌキ付近では44m、24m、44mとフィックスをベタ張りし、その先の不安定な岩稜に44m 3本をフィックスするが、時間を食い最終帰幕が遅れる。

〈フィックス回収およびサポート隊〉(上田・大西・山本政・竹村)
 アイゼンで出発し、スムーズにフィックス6本を回収し帰幕。1年生をテントに残し上部へ向かい、6峰基部で引き返し、7峰までのフィックスの切れ目に44m 2本を入れ、ルートを完全なものにし帰幕する。

12月21日 雪 停滞

12月22日 霧後雪
 天気待ちのあと出発する。7峰まではスムーズに進むが、6峰付近で時間を喰う。5、6のコルで昼食後、吹雪の中をBCへ慎重に戻る。

12月23日 雪
 風雪はげしく、ルート整備のみとする。小ダヌキ先で引き返す。

12月24日 晴後雪
〈AC入り隊〉(上田・大西)
 アドバンス・キャンプ(AC)にて昼食後、上部偵察へ向かう。フィックス24m 1本、44m 2本を張り、5峰ピーク上まで、あと1ピッチを残した地点で引き返す。

〈AC荷揚げ隊〉(松尾・山本篤・山本政・竹村)
 朝、天幕を撤収し出発する。6峰の登りでパーティー間隔がひらくが、ACに着いたパーティーから設営する。全員で昼食後、荷揚げ隊は帰幕する。

12月25日 雪
〈AC隊〉(上田・大西)
 朝から激しい降雪で上部へは行けず6峰にて連絡した後、帰幕してテント維持。

〈BC隊〉(松尾・山本篤・山本政)
 6峰にて連絡をする。

12月26日 晴
〈AC隊〉(上田・大西)
 強風のため、終日テント維持とする。

〈AC荷揚げ隊〉(松尾・山本篤)
 天気待ちの後、3年生と2年生パーティーで出発する。強風のため、6峰基部にて天気待ち後、ACに入る。荷を置いた後、BCに戻る。

12月27日 晴
〈AC隊〉
 トランシーバー交信後出発し、5峰は上から下まで全てフィックスを張る。4峰は最初の急なリッジを44m 1本、核心のトラバースから44m 2本、24m 1本のフィックスで4峰頂上へ抜ける。さらに3峰の1ピッチ目を登ったところで引き返し、4峰の下りはアプザイレンもまじえて降りる。

〈AC荷揚げ隊〉(松尾・山本篤・山本政・浅川)
 いいペースでACに入り、ブロックを設置する。トランシーバー交信後、BCに帰幕、山本政はAC入りする。

12月28日 曇時々雪
〈アタック隊〉(上田・大西・山本政)
 出発するが雪がちらつきはじめたので引き返し、連絡とする。

〈サポート隊〉(松尾・山本篤・竹村)
 私物をすべて持って出発するが、6峰でアタック隊と連絡後、BCへ戻る。

12月29日 曇時々雪
〈アタック隊〉
 アタック決行するも4、5のコルで雪が降り出し、天気待ちの後、6峰で連絡とする。

〈サポート隊〉
 今日こそはと思い、出発する。6峰タヌキ岩にて降りてきたアタック隊と連絡後、アタック中止と決まりBCに戻る。

12月30日 晴
〈第1次アタック隊〉(上田・大西・山本政)
 進むにつれ天気は好転し、3、4のコルで完全に晴れる。ここからドッペル・ザイルで進み3峰に取りつくが、雪をかぶっていて時間を喰う。3峰上から5ピッチのワンアットで待望の前穂の頂上に抜ける。下りは登ってくる社会人パーティー待ちのために時間を喰い、4峰を慎重に下り、どうにか5、6のコルへ戻る。

〈サポート隊〉(松尾・山本篤・竹村)
 ACに竹村を残し3年と2年生パーティーで4峰頂上まで行くと、アタック隊が3峰に見える。3、4のコルまで行って昼食とし、ACで交信の後、BCに戻る。

12月31日 快晴 メンバーチェンジ
〈AC入り隊〉(松尾・山本篤・竹村)
 BCに上田・大西・山本政が下る。

1月1日 晴後雪
〈第2次アタック隊〉(松尾・山本篤・竹村)
 強風の中を出発。4峰の登りで初日の出を拝み、3、4のコルまで順調に進み、天気待ちの後、一気に前穂頂上に登る。記念撮影後、慎重にACに向け下る。

〈サポート隊〉(上田・大西・山本政)
 ACに山本政を残し、4年と2年パーティーで4峰まで行き、ヨーデルを交わした後、4峰のフィックスをはずしながら戻る。

あとがき

 1 月 2 日より撤収作業に入り、 4 日下山する。この冬山合宿を振り返ると、アタック態勢がようやく整い、第 1 次隊はアタックを試みるが、雪降りとなり 2 度も途中から引き返さざるを得なかった。それでも 3 度目は好天に恵まれて前穂高岳(3090m)に立ち、第 2 次隊も翌日登頂する。

 アタックの2日間は珍しく好天であったが、前半は気圧の谷が接近し連日、吹雪模様の天気にさらされた。それでも停滞が 1 日のみで、荒天の中でも荷揚げや連絡、ルート工作と部員たちの登高意欲が萎えることはなかった。最低コルから 8 つのピークを乗り越える北尾根の岩稜にフィックスを張り、危険度の高いバリエーション・ルートを制覇、MACの復活を成し遂げた。

 決算合宿を牽引した上田主将は、登頂に成功したことで年度方針「登山活力の向上」の糸口が見え始めたと手応えを感じ取り、総括として「実力の向上は、部員間の意思統一の上に築かれるべきものであって、部としての登山意欲は、各人の部意識の統一の上で考えられるものであることを肝に銘じておくべきである」と締めくくった。

 一方、菅澤豊蔵監督は「本番の決算合宿で、全員が各々に与えられた役割分担に力を発揮し、計画通り登頂に成功する事が出来た。少ない上級生での新人指導も懸念されたが、1980年以来適確な新人指導をする為に作成されたカリキュラムの成果も見られ、いわゆる新人の力の底上げは著しかった」と評価した。

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