チョー・オユー、シシャパンマ登山隊(2006)
活動期間 | 2006(平成18)年4月〜5月 |
---|---|
目的 | 南西壁からチョー・オユー(8201m)、北壁または西稜よりシシャパンマ(8027m)に無酸素、シェルパ・レスのアルパイン・スタイルで連続登頂。 |
隊の構成 | 隊長=加藤慶信(平成10年卒、30歳) 隊員=天野和明(同12年卒、29歳) 以上2名ほかにコック1名、キッチンボーイ1名 |
行動概要
5000mのTBC着。
TBCを発ち5350mの中間キャンプ入り、翌13日、5800mにABC建設。
チョー・オユーの南西壁を偵察した結果、雪が少なく落石が頻発しているため南西壁を断念、西面ノーマル・ルートに決める。
ABCから6400mのC1入り。
C1から7000mにC2建設。翌日ABCに下り、アタック前に3日間休養。
ABCからC1入り。翌日はC1からC2に入る。
午前1時20分にC2を出発、強風の中順調に高度を稼ぎ、午前11時にチョー・オユーに登頂。13時30分C2に下山、即撤収してC1に帰幕。
C1を撤収しABCに帰幕。3日間の休養。
ABCを撤収、4200mのティンリーまで下る。
ティンリーを出て5000mのTBCに入る。
TBCから5700mのABCに入り、2日間休養。
ABCを出て6800mにC1建設。
昼間は休養をとり夜22時にC1を出発、シシャパンマの北壁に向かう。
午前0時30分北壁に取り付き、7時30分北壁から頂上稜線に抜け出す。11時30分にシシャパンマ主峰登頂、18時C1に帰幕。
C1を撤収しABCに帰着。20日にABCを撤収しザンムーに下山。
2人によるアルパイン・スタイル登山のきっかけ
加藤慶信は2006年春、ある人のチョー・オユー登山に参加することになり、その後、単独でシシャパンマに挑むつもりでいた。この話を後輩の天野和明に打ち明けると、天野がぜひ参加したいとのことで、チョー・オユーは個人負担で、その後、2人でバリエーション・ルートからシシャパンマに挑むことにした。
ところが、その人はチョー・オユー登山を延期したため、加藤と天野の目論見は頓挫する。しかし、2人は一度行くと決めたので話し合った結果、2つの8000m峰にバリエーション・ルートから連続登頂する計画に変更した。加藤と天野はヒマラヤを目指したころから、無酸素、シェルパ・レスによるアルパイン・スタイルで、バリエーション・ルートに挑みたいと決めていた。
斬新な遠征計画を炉辺会が支援
加藤と天野は明大登山隊として認めてもらえないか、炉辺会の理事会に要請する。理事会は新しい登山スタイルで挑む2人を後押しすべきとなり、公式の登山隊となる。また、カトマンズにデポしてある登山装備の借用も認められたが、2人にとってもう一つ不安材料があった。それは8000m峰に連続登頂するための資金繰りだった。
出発まで1週間を切った3月22日、臨時の理事会が招集され、チョー・オユー、シシャパンマ遠征隊への資金援助について話し合われた。2人から資金不足と予備費が用意できない窮状を聞き、急遽、炉辺会は助成金と予備費の貸出を決めた。
こうして「ドリーム・プロジェクト」最後のアンナプルナⅠ峰から3年後、これからの新しい遠征スタイルを占う少人数パーティの登山隊は、ヒマラヤ8000m峰に挑むことになる。これまでの遠征史上最も少ない、わずか2人だけの登山隊となった。
アルパイン・スタイルで8000m峰に連続登頂
チュー・オユーの南西壁を偵察した結果、壁に付着している雪が少なく、落石が頻発するなどコンディションが悪く断念、西面のノーマル・ルートから登頂を目指すことにした。
5月2日の夜11時に起床、簡単な食事を済ませて準備し、日付が変わる5月3日午前1時20分、2人はアタックに出発する。C2からファイナル・ピークまでの高度差1200mは、2人にとって初めて経験する一番の長さだった。出発して2時間半ほどで7500mの尾根上に到達、風が強く指先の感覚がなくなるほどの寒さだった。
7600m地点からロックバンドが始まり、ここから雪と岩が混じる斜面を登ると、7900m付近から雪と氷の斜面に変わる。風は益々強くなり、立ち止まって踏ん張らないと吹き飛ばされそうになる。8050m付近から雪と岩の斜面を登り午前10時、8150mの頂上台地に着く。この台地は中央が窪み、周りが高くなって、どこが頂上なのか探すのにひと苦労する。やがて風にはためくタルチョが見え午前11時、チョー・オユーに立った。風が強く寒さも尋常ではないので、15分ほど滞在しただけで頂上を後にした。
10日、ティンリーからシシャパンマのベースキャンプ(TBC)に移動する。16日、昼間は休養にあて夜8時に起床、お湯を沸かしビスケットをかじるだけの軽食をとる。ダブルの高所靴を履き、ウェアはダウンのフルスーツ、携行装備は2人でツェルト、7.5㎜ロープ1本、スノーバー2本、ナッツ3個、ピトン4枚、アイススクリュー2本だけを持った。夜10時、快晴の星空の下、2座目のシシャパンマを目指す。1時間半ほど歩いてノーマル・ルートと分かれ、北壁に向かう。雪が詰まった狭いクーロワールを、ヘッドランプで照らしながらジリジリと登る。なんとか核心部を越えたころ、ようやく夜が明ける。上部に再びクーロワールが待ち構え、徐々に狭くなる中、長い登攀が続いた。高度計が8000m近くなったころ、見上げると強烈な紫外線が飛び込んで来て、やがて頂上稜線に着く。初登者がワンビバークで抜けたこの北壁中央クーロアールを、2人は7時間半で抜ける速さだった。
頂稜から左へリッジ通しに進んだが、岩が露出し細いため一度クライム・ダウンし、北壁側の上部壁をトラバース、細いルンゼ状の雪壁を登る。そして、登り切った岩峰から岩と岩の間を抜け直上する。やがて目の前に中央峰が現れるがピークには立たず、下から東壁最上部にある雪のナイフリッジ下をトラバースする。ピーク手前でコルに上ると、細くて狭いナイフエッジとなる。この稜線を進むと次第に幅が広がり、コルに降りる。ちょっとした丘のような雪のリッジを越えたり、巻いたりしながら進み、最後の小さなコルから顔を上げると目の前が頂上だった。シシャパンマはチョー・オユーのときと違い、無風快晴の静かな山頂だった。下りもバリエーション・ルートにこだわって北東稜ヘトラバース、その後、北東稜から下り登山を終える。その結果、加藤慶信は8座目、天野和明は6座目の8000m峰登頂となった。
落石が頻発するチョー・オユー南西壁はリスクが大きいと諦め、ノーマル・ルートに変更したとき、パートナーの天野は、南西壁とノーマル・ルートの間に挟まれた約1000mのフェース状を登攀したいと加藤に進言した。しかし、天野から提案のあったルートは、事前に下調べをしなかったので加藤はあっさりと断った。単なるノーマル・ルートからではなく、あくまでもバリエーションに執着する天野、また、事前に調べたり研究しなかったルートには手を出さないという頑なな加藤、この2人の姿勢には感服する。
- 『炉辺』第10号(2012年6月発行)加藤慶信「チョー・オユー登頂記」、天野和明「シシャパンマ登頂記」