特別企画展の案内:「植村直己・わが青春の山岳部」

【2024年最新版】明治大学山岳部 歴代主将一覧

 明治大学山岳部は、長い歴史の中で数多くの成果を積み重ねてきました。創部以来、多くの挑戦を経て、数々の登山を成功させてきました。その中でも、部を牽引する歴代主将たちは、部員たちの精神的な柱として活躍し、それぞれの時代に合わせたリーダーシップを発揮してきました。本記事では、歴代主将を紹介します。

歴代主将一覧

年度西暦年度主将名主な出来事
大正15年度1926年度新井 長平当時は「庶務」担当が主将の役割を果たす
昭和 2 年度1927年度不明
昭和 3 年度1928年度不明山岳部からスキー競技班が分離「スキー部」へ
昭和 4 年度1929年度小沢 利一郎「関東学生登山連盟」設立
昭和 5 年度1930年度小沢 利一郎駿河台に体育館が完成、地下に部室が新設
昭和 6 年度1931年度交野 武一リーダー的部員に「正部員章」授与
昭和 7 年度1932年度宍戸 文太郎
昭和 8 年度1933年度村井 栄一
昭和 9 年度1934年度針ヶ谷 宗次山岳部で初の遭難、針ヶ谷宗次が死亡
昭和10年度1935年度宇野(木谷)六郎八方尾根明大山寮が完成
昭和11年度1936年度合木 武夫前穂・北尾根4峰東南壁に「明大ルート」開拓
昭和12年度1937年度合木 武夫
昭和13年度1938年度荻野 俊男谷川岳・マチガ沢で人見卯八郎が墜落死
昭和14年度1939年度岡 謙吉台湾遠征偵察行
昭和15年度1940年度小国 達雄台湾遠征(奇莱主山連峰縦走)
昭和16年度1941年度坂本 秀信文部省から夏山中止の厳命
昭和17年度1942年度永山 盛泰明治大学報国隊に参加、勤労動員
昭和18年度1943年度上原 一郎ワンダーフォーゲル部と併合「行軍山岳部」に
戦時体制下となり休部状態に。戦後の部活動は昭和22年から再開。
昭和22年度1947年度大塚 博美戦後、体育会各部の代表者に「主将」名
昭和23年度1948年度永井 拓治西穂高岳から極地法で奥穂高岳(冬山合宿)
昭和24年度1949年度桜井(平野)清茂明神東稜から極地法で奥穂高岳(冬山合宿)
昭和25年度1950年度服部 稠前穂・北尾根征服 極地法の仕上げ(冬山合宿)
昭和26年度1951年度児島 貞雄体育会の各部にOBの監督を配置
昭和27年度1952年度高橋 進戦後初めての遭難で飯田貞夫が疲労凍死
昭和28年度1953年度中村 雅保横尾尾根から滝谷登攀(冬山合宿)
昭和29年度1954年度窪田 知雄八方尾根明大山寮改築
昭和30年度1955年度五十嵐 弘
昭和31年度1956年度高橋 宏白馬鑓ヶ岳二重遭難
昭和32年度1957年度石田 要久「コーチング・スタッフ制」がスタート
昭和33年度1958年度東 真人
昭和34年度1959年度田村 宏明立山・雷鳥沢で矢沢剛が雪崩で死亡
昭和35年度1960年度鈴木 伊和雄
昭和36年度1961年度木村 敏之「剱岳長期計画」スタート
昭和37年度1962年度高橋 登美夫日本青年会館で山岳部創立40周年記念映画会
昭和38年度1963年度小林 正尚「遭難の実態~遭難実態調査」発刊
昭和39年度1964年度菅沢 豊蔵第 1 次NZ遠征、剱岳・八ツ峰縦走(春山合宿)
昭和40年度1965年度久保山 道夫「槍・穂高長期計画」、第 2 次NZ遠征
昭和41年度1966年度坂本 文男
昭和42年度1967年度吉澤 清大学紛争が頻発、合宿準備に影響
昭和43年度1968年度長谷川 良典
昭和44年度1969年度根深 誠機動隊が突入、ロックアウト状態
昭和45年度1970年度岡澤 修一植村直己が日本人初のエベレスト登頂
昭和46年度1971年度石島 修一滝谷第 4 尾根登攀中の石島修一が転落死
昭和47年度1972年度河野 照行梶川清滑死で謹慎、「山岳部再建委員会」設置
昭和48年度1973年度坂本 純一「再建委員会」から「強化委員会」へ
昭和49年度1974年度竹田 和夫
昭和50年度1975年度田中 淳一明大百周年エベレスト計画「 3 M作戦」発表
昭和51年度1976年度松田 研一「理事制度」に移行し「学生」担当理事が監督
昭和52年度1977年度伊藤 彰則前穂・北尾根から槍ヶ岳縦走(冬山合宿)
昭和53年度1978年度中西 紀夫中西主将がアンナプルナ南峰に登頂
昭和54年度1979年度中西 紀夫夏山合宿で新人の松本明が急死
昭和55年度1980年度田口(斎藤)伸赤谷尾根と早月尾根から剱岳(冬山合宿)
昭和56年度1981年度山本 宗彦エベレスト登山隊に田口、高野、松村参加
昭和57年度1982年度米山 芳樹山岳部創立60周年記念上高地懇親会開催
昭和58年度1983年度上田 哲也山岳部員の減少傾向続く
昭和59年度1984年度松尾 英之植村直己、マッキンリーで遭難
昭和60年度1985年度山本 篤JACマラソン大会で団体優勝、大西個人で優勝
昭和61年度1986年度竹村 政哉年度スタート時点で 4 年生 2 名、 2 年生 2 名の 4 名
昭和62年度1987年度佐野 哲也途中退部者続出に歯止め掛からず
昭和63年度1988年度佐野 哲也日本山岳会学生部韓国登山隊に 3 年部員廣瀬が参加
平成 1 年度1989年度佐野 哲也チョモランマ峰偵察隊に4年部員廣瀬が参加
平成 2 年度1990年度冨田 大大明神尾根から毛勝三山(冬山合宿)
平成 3 年度1991年度冨田 大冬山合宿の利尻山で染矢浄志が転落死亡
平成 4 年度1992年度小杉 秀夫染矢の捜索で前半は短期の合宿準備山行を実施
平成 5 年度1993年度高橋 和弘涸沢岳西尾根から涸沢岳、奥穂高岳(冬山合宿)
平成 6 年度1994年度高橋 和弘JACマラソン大会で団体優勝
平成 7 年度1995年度高橋 和弘学生だけの海外合宿でガングスタン全員登頂
平成 8 年度1996年度豊嶋 匡明JAC青年部K 2 登山隊に豊嶋が参加
平成 9 年度1997年度森 章一
平成10年度1998年度田中 隆教
平成11年度1999年度天野 和明
平成12年度2000年度谷山 宏典
平成13年度2001年度松本 浩スポーツ推薦特別入試制度の適用を申請
平成14年度2002年度松本 浩
平成15年度2003年度小久保 裕介スポーツ推薦で 3 名が入部( 1 名は退部)
平成16年度2004年度小久保 裕介
平成17年度2005年度三戸呂 拓也
平成18年度2006年度三戸呂 拓也
平成19年度2007年度矢口 匠
平成20年度2008年度川村 雄太
平成21年度2009年度野口 健介
平成22年度2010年度千葉 修平
平成23年度2011年度佐々木 理人創部90周年マッキンリー登山、 4 名全員登頂
平成24年度2012年度宮津 洸太郎
平成25年度2013年度小林 雅章
平成26年度2014年度長島 慎也
平成27年度2015年度松本 拓也
平成28年度2016年度宮武 尚史
平成29年度2017年度染矢 智成6 月で染矢が退部、小清水健人が主将になる
平成30年度2018年度小清水 健人
平成31年度2019年度小田 英生
令和2年度2020年度川嵜 摩周
令和3年度2021年度川嵜 摩周
令和4年度2022年度川嵜 摩周
令和5年度2023年度川嶋すず菜
令和6年度2024年度川嶋すず菜
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