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水戸守 巌君を送る – 中島祥和(昭和36年卒)
山登りの仲間、仲の良かった男が旅立っていった。息子さんと二人で、蒼く澄んだ海へ散骨した。頑強だった彼は小さな箱に粉になって収まっていた。
「オレの痕跡は残すな」と言い、墓地への埋葬も拒否した“彼”が、波に揺られて行くのを見送り、こみ上げるものがあった。
山岳部の3年部員になる直前「オレ、勉強するよ」と言って、当時は至難だった司法試験へのチャレンジを始めた。何度か酷い目に遭った後に、念願どおり合格し弁護士の道を歩んできた。
彼が所属する都心の事務所を時に訪ねた。決まって古典的なオヤジ、ジジイの会所、赤提灯か蕎麦屋の暖簾をくぐった。難しい話はしなかった。しかし、彼の仕事柄“怖い兄さん”や”上の者”にも会わざるを得なかったようだ。
そんな時の、昔取った杵柄を思わせるやり取りなどを、口ごもるように訥々と話した。山の話より、お互いにあからさまには口に出来ないことを、漏れる気遣い無く口に出来るのがよかった。
山と言えば岩登りで私と意気の合った部の1年先輩に「一緒に連れてってください」と彼が頼んだことがあった。温厚な先輩は「お前は駄目。力はあるけどバランスが悪い」と断った。気の毒なほど気落ちしている彼を見たのはこのときだけだった。
コロナが蔓延し始めた頃にふと彼が言った。
「変な病気が流行ってるなー」と。
「いろいろあるけどオレ達はもう存分に生きちまったからなー」と返したのを思い出した。
「そうだな。オレ達は生き過ぎたかー」。
あのときは何も言わなかったその答えが聞こえたような気がしたが、蒼い海にはもう彼の痕跡も無かった。