主な国内活動記録– category –
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主な国内活動記録
栂海新道から白馬岳登頂 – 平成11年度春山合宿
1999(平成11)年度の主将となった天野和明は、登山の原点である未知なる領域の開拓と、チーム全員が一丸となって挑戦する積雪期縦走の二本柱を目標にした。天野たちリーダー陣は、あくまで “未知なる山域での全員縦走” にこだわり、ルート... -
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剱岳登頂とチンネ登攀(1996) – 平成8年度冬山合宿
山岳部主将の豊嶋匡明をはじめリーダー陣は、決算合宿の場所を検討した結果、剱岳東面からの八ッ峰と源次郎尾根、そして西面からのチンネが候補に挙がった。その中で東面の 2 ルートは冬の気象条件の悪さとアプローチの距離から考えて難しいとなり、一番... -
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南アルプス縦走と北岳バットレス登攀(1987) – 昭和62年度夏山合宿
夏山合宿は創部以来、年間合宿の大きな柱であり、戦後になると積雪期の冬山、春山に次ぐ重要な合宿と位置づけられた。夏山合宿は年度目標の積雪期登山に備え、基礎体力の養成をメインに、幕営生活技術の習得、チームワークの強化などを図る目的で実施さ... -
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北尾根から前穂高岳(1983) – 昭和58年度冬山合宿
上田哲也が1983(昭和58)年度の主将になると、MACの “力強さ” を取り戻すべく、年度方針「登山活力の向上」を目標に部活動に入った。彼は年度目標を達成するため、穂高連峰にある厳しい岩稜の北尾根から前穂高岳登頂を決算合宿とした。そこで上田主将は... -
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北仙人尾根~剱岳~早月尾根縦走(1976) – 昭和51年度冬山合宿
1976年度の主将になった 1 人 4 年生の松田研一は、本学100周年記念事業のエベレスト遠征が控える中、高揚感をみなぎらせ部活動を開始した。新人合宿を終了すると、極地法による決算合宿「北仙人尾根より剱岳」の計画を推し進める。 5 月に偵察を兼ねた... -
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八ッ峰を完全縦走し剱岳へ(1965) – 昭和39年度春山合宿
1961(昭和36)年度から始まった「剱岳長期計画」は、基礎体力や登攀力の向上に大きな役割を果たした。この計画の 4 年目は実りある形で終止符を打つことが求められ、八ッ峰登攀だけは是が非でも計画に取り入れるべきだ、となった。そこで前年の春山合宿... -
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横尾尾根から滝谷登攀(1953) – 昭和28年度冬山合宿
昭和も20年代後半になると世の中も落ち着きを見せ始め、日用品から食糧品まで “モノ不足” の影は薄らいでいた。一方、登山界は社会人山岳会の台頭が見られ、より厳しく、より困難な登攀や新ルート開拓に鎬を削るようになる。 この1953(昭... -
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極地法で畳岩尾根から奥穂高岳へ(1947) – 昭和22年冬山合宿
長い戦争が終わっても、すぐ山に登れる状況ではなく、生きるため食いつなぐ生活で精一杯という日々であった。復員や勤労動員から戻った学生たちは部室に集まり、部の再起に取り掛かった。 そして1946(昭和21)年春、部活動を再開する。山岳部は戦後初... -
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前穂高岳・北尾根第 4 峰東南面「明大ルート」開拓
奥穂高岳を盟主に北穂、前穂、そして西穂と続く岩稜に連なる岩壁群は、剱岳、谷川岳とともに日本の三大岩場と称された。1930年代に入るとアルピニズムの実践を岩壁に求めていくようになる。 大学山岳部はじめ社会人山岳会は、穂高の岩壁や岩稜に熱い視... -
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白馬岳から唐松岳へ積雪期初縦走(1930)
時代が昭和になると、北アルプスにおける積雪期の初登頂時代は幕を閉じ、バリエーション・ルートからの登頂や積雪期縦走が展開される。そこで積雪期の縦走や横断に各大学山岳部は鎬を削った。 明大山岳部でも1928(昭和 3 )年ごろから、白馬岳から唐...
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